万葉の旅

長門の島

2010/7/11
PENTAX K10D

倉橋島は古来長門島とよばれ、瀬戸内海随一の造船の基地であった。
天平8年(736)に派遣された遣新羅使一行も船の手入れのためか、この地に停泊して歌をのこしている。
万葉時代の風景は失われつつあるが、松原がつづく桂浜は、万葉人が逍遥した頃とあまり変わっていないのではないだろうか。


                                                                             
桂浜から西の海を見る
安芸の国の長門の島にして磯辺に船泊りして作る歌五首

 石走る 滝もとどろに 鳴く蝉の 声をし聞けば 都し思ほゆ  大石蓑麻呂 巻15−3617

 山川の 清き川瀬に 遊べども 奈良の都は 忘れかねつも  巻15−3618

 磯の間ゆ たぎつ山川 絶えずあらば またも相見む 秋かたまけて  巻15−3619

 恋繁み 慰めかねて ひぐらしの 鳴く島蔭に 廬いほりするかも  巻15−3620

 我が命を 長門の島の 小松原 幾代を経てか 神さびわたる  巻15−3621

長門の浦より船出する夜に、月の光を仰ぎ観て作る歌三首

 月読の 光を清み 夕なぎに 水手かこの声呼び 浦み漕ぐかも  巻15−3622

 山の端に 月傾けば 漁いさりする 海人あまの燈火 沖になづさふ  巻15−3623

 我れのみや 夜船は漕ぐと 思へれば 沖辺おきへの方に 楫かぢの音すなり  巻15−3624


8首の歌が刻まれている「万葉集史蹟長門島之碑」。台座を入れると7mを超える大きな碑で、昭和19年(1944)に建立された。
                                      

道路をはさんで造船歴史館の向かい側にある万葉植物園の歌碑。
万葉学者犬養孝先生の揮毫で、3621番の歌が刻まれている。

桂浜神社参道入口の門柱裏にも3621番の歌が刻まれている。
我が命を 長門の島の 小松原 幾代を経てか 神さびわたる  巻15−3621
私の命が長らえるようにと祈る長門の島の松原は、どれほどの歳月を経てこんなに神々しいものになったのだろうか。
                           

造船歴史館には実物大に復元された遣唐使船が展示されている。
閉館時刻をすぎていて中に入れなかったので道路から撮影。

我が国最初の西洋式ドック跡。造船は砂浜で行われていたが、桂浜では亨和年間(1801〜1803)に堀江を改修してドックが築造された。

倉橋島の西海岸に鳴滝という集落がある。集落から見ると、山腹のかなり高い所に滝が流れているのが見える。

滝の左側に大きな岩があり、その上に石柱が見える。これが3617番の万葉歌碑である。鳴滝集落の付近を長門の島の故地とする説もある。

石走る 滝もとどろに 鳴く蝉の
声をし聞けば 都し思ほゆ
  
巻15−3617
勢いよく流れ落ちる滝さえもしのぐほどに響き渡る蝉の鳴く声を聞いていると、都のことが思い起こされる。

鳴滝のバス停付近で出会ったおじいさんに聞くと、木が立ち塞がって滝の近くへは行けないとのことだった。

こんな険しい所にある万葉歌碑は見たことがない。