万葉の旅

名児山

07.7.24
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あんずの里運動公園の歌碑のむこうに見えるのが名児山。現在はナチゴヤマと呼ばれ、標高165m。
                        
冬の十一月に、大伴坂上郎女そちの家をちて道に)り、筑前つくしのみちのくちの国の宗像の郡こほり名児を越ゆる時に作る歌

大汝おほなむち 少彦名すくなひこなの 神こそ 名付けそめけめ 名のみを 名児山ひて 我が恋の 千重ちえの一重も 慰めなくに  
巻6−963

名児山の名は、大汝(大国主命)と少彦名命がはじめて名付けられた名であるが、心がなごむという名を背負っているだけで、
私の苦しい恋の千のうちの一つさえも慰めてはくれない。

この歌は、天平2(730)年11月に、大伴旅人の帰京より一足早く出発した大伴坂上郎女が名児山越えの峠道で詠んだものである。

名児山越えは、福津市奴山から宗像市田島へぬける峠越えの道であるが、宗像大社に参拝するためにこの道を通ったのであろう。

万葉学者の犬養孝先生は、名児山越えの古道を何度もおとずれ、藪を切り開いて古道を復活させたが、今はだれも通らないこの道は途中で草に埋もれていることだろう。
 
 犬養先生は名児山越えの古道でオニユリの群生に出会ったというが
  筆者が奴山の集落で出会ったは桜色のユリの花だった。
                                   

大現寺池の土手の下、名児山越えの登り口。
                               

池の土手から見た奴山の風景は万葉時代とあまり変わっていないのではないだろうか。
大現寺池の少し先に、「筑紫萬葉旅行の会」が建てた万葉古道の標柱と大現寺への石の道標がある。
まっすぐ進めば大現寺跡の小さな堂に着く。左が万葉古道、途中まで行ったが虫が多くて引き返した。秋に再訪したいと思う。
万葉古道は県道の大阪峠に出るが、大阪峠側にあるはずの標柱は見つけられなかった。大阪峠を東へ下ると宗像大社へ達する。
                                        

宗像大社神宝館近くの駐車場の歌碑。
右に「鐘の岬」の歌、左に「
名児山」の歌が刻まれている。

宗像大社。
 

■2009/8/23再訪
前回の訪問のときに、「秋に再訪したい」と書いたが、近くまで来たので立ち寄ってみた。暑い日だった。
県道の大坂峠は土砂崩れのため通行止めになっていた。県道の西側入口付近に車を置いて歩いた。
坂道を登りはじめてすぐ左手に、<当地は「勝浦」地名発祥の地です>という看板が目に付いた。
1年前に立てられたもののようだが前回は気が付かなかった。前回訪問の直後に立てられたものかもしれない。
万葉古道の大坂峠側入口は今回も見つけられなかった。奴山側にもまわってみたが前回と何ら変わったところはなかった。
                         

「勝浦」地名発祥の地の看板。

奴山側の万葉古道。途中まではっきりとした小道がある。