万葉の旅

残島

08/5/21
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能古島は博多湾に浮かぶ島、姪浜の桟橋からフェリーで10分ほどで行ける。戦後福岡市に合併されるまでは「残」と書かれていた。万葉仮名では「能許」と書く。南端の港から北端の也良崎まで約3.5km。港からアイランドパークまでバスがあるが、当日は自転車で30分ほどで着いた。アイランドパークから500mほど北に、「也良の崎」の万葉歌碑がある。

沖つ鳥 鴨とふ船の 帰り来ば 也良の崎守 早く告げこそ
山上億良 巻16−3866
沖に棲む鳥の鴨という名の船が帰って来たら、也良の崎守りよ、
早く知らせておくれ。


也良の崎は、防人の屯所所在地として、万葉集にその名を留めている唯一の場所である。この歌は、対馬への防人の食料運搬中に遭難した志賀島の船乗り・荒雄の死を悲しみ、筑前守山上憶良がつくった「筑前国志賀白水郎10首」の7番目の歌である。
 
 


のこのしまアイランドパーク入口。


島の中心部の展望台から志賀島を見る。

港近くの永福寺の裏に能古焼窯跡があり、その少し先に万葉仮名で刻まれた歌碑がある。
万葉集のこの歌の前書きには次のように書かれている。
筑前つくしのみちのくちの国のこほり韓亭からとまりに至り、船泊ふなどまりして三日を経ぬ。時に夜月の光、かうかうとして流照りうせうす。
たちまちにこの
くわに対し、旅情悽噎せいいつす。
おのもおのも心緒おもひべ、いささかにつくる歌六首
能古島の対岸の韓亭、現在の唐泊で詠まれた6首のうちの6番目の歌である。


風吹けば 沖つ白波 かしこみと 能許の亭とまり
数多
あまたそ寝
遣新羅使人 巻15−3673
風が吹くと、沖から押し寄せる白波が恐ろしいので、
能古の港に幾晩も過ごしている。


永福寺の達磨と菩薩像。


黒田藩御用窯の能古焼窯跡。江戸中期のもので全長220m。
                            

壇一雄文学碑入口付近。

壇一雄文学碑から対岸の唐泊方面を見る。
                 
能古島には、西町の個人宅に歌碑があるそうだが、確認していない。
沖つ鳥 鴨とふ船は 也良の崎 廻みて漕ぎ来と 聞こえ来ぬかも  山上億良 巻16−3867
沖に棲む鳥の鴨という名の船は、也良の崎を廻って漕いで来たという知らせが来ないものか。
                   

能古島は夏みかんの栽培が盛ん。花と実が同時に見られる。

フェリーから見た福岡の町は蜃気楼のようだった。