万葉の旅

沖つ島山

11/5/24
PENTAX K10D
          

近江八幡市の中心部から北へ、長命寺川にかかる渡会橋(わたらいばし)を渡って左折する。
「津田の細江」という歌枕の地を川沿いに西へ進む。再び長命寺川を渡って道なりに進むと岡山という小山がある。
このあたりが「水茎の岡」で坂道を登ってゆくと県道左手に万葉歌碑がある。


雁がねの 寒く鳴きしゆ 水茎の 岡の葛葉は 色づきにけり 巻10−2208
雁が寒そうに鳴いた頃から、岡の葛の葉は色づき始めた。

          

「名勝水茎岡」の石碑。

山野草の中に歌碑。

長命寺から見た水茎の丘。左の山が標高188mの岡山。
         
         
奥島山の裏側へ廻って行くと、突然目の前が開け、夢のような景色が現れる。小さな湾をへだてて、「沖の島」が湖上に浮かび、長命寺の岬と、伊崎島が、両方から抱くような形で延びている。静かな水面には水鳥が群れ、松吹く風も鳴りをひそめて、皎々たる真昼のしじまの中に、この世の浄土を楽しんでいるかのように見える。長命寺のあたりも美しいが、奥島山(おきつしまやま)の裏に、これほど絶妙な風景が秘められているとは知らなかった。

白洲正子さんは、著書「近江山河抄」の中で沖の島が見える風景を絶賛しているが、この沖島が万葉集の沖つ島山とされている。
白洲さんがこのあたりを旅したのは1970年代はじめ、バブル経済突入前のまだ静かな時代だった。

淡海の海 沖つ島山 奥まけて 我が思ふ妹を 言の繁けく 巻11−2439
近江の海の沖の島山のように、奥の奥まであの娘のことを思っているのに、人の噂の絶えないことだ。


国民休暇村付近から沖島を見る。左手には長命寺の岬がせり出している。
長命寺がある山(奥島山)はかつては島だった。万葉集に詠われた沖つ島山はこのあたりの島々の総称であろう。
          

堀切港から沖島を見る。沖島へは堀切港から定期船で10分。

沖島港近くには「名勝沖島」の石碑。

白洲正子さんがたずねた当時は定期船がなかったようで、長命寺付近の港から漁船で沖島へ渡ったという。

竹生島と並んで、沖の島も、かつては神の島であったに違いないが、かくれていたために俗化をまぬかれたのであろう。
聞くところによれば、保元の乱に敗れた源氏の落人が住みつき、その子孫が昔のままの生活をいとなんでいるという。
島には殆ど平地がなく、細長い村の中に、たった一本のせまい道が通っている。
自動車が一台もない漁村は、ヴェニスの裏街を思わせ、公害や騒音と縁のない島の一日は、私にとって忘れがたい思い出である。



沖島から南を見る。左が長命寺山がある奥島山、右が水茎の岡がある岡山、そして正面に近江富士・三上山が見える。
          

白洲さんはヴェニスの裏街を思わせると書いているが。

和銅年間に近江の国守・藤原不比等が建立したという奥津島神社。


帰りの船から見る。左が頭山、右が尾山、その間の平地に港を中心に民家が密集している。
島には約140世帯・約400人が住み、主に漁業によって生計を立てている。