万葉の旅

大野山

07.7.31
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大宰府政庁跡から見た大野山。山全体が四王寺山とよばれ、東の標高354mの大原山から西の標高410mの大城おおき山へ
となだらかな起伏を描いている。白村江の戦い大敗後の天智4(665)年に、有事の籠城に備え山全体に朝鮮式山城が築かれた。
現在でも倉庫の礎石、土塁、石垣などが残っていて、大野城跡として、大宰府政庁跡と共に国の特別史跡に指定されている。
大伴旅人や山上憶良も日々目にしたであろう風景、そして、ひびが入った礎石が1300年以上の時を刻んでいる。
                 
筑前国分寺跡の七重塔の礎石前に立つと大野山が見える。近くの国分天満宮には山上憶良の歌碑がある。

大野 立ちわたる が嘆く おきその風に 霧立ちわたる 巻5−799
大野山に霧が立ち込めている、私が吐く嘆きの息で霧が立ち込めているのだ。
大伴旅人の妻の死を悼んで、旅人の気持ちになって憶良が詠んだものである。
                    
大伴旅人の異母妹である大伴坂上郎女が大城山(大野山)を詠んだ歌が、西鉄大宰府駅前の灯篭に刻まれている。
今もかも 大城おほきの山に ほととぎす 鳴きとよむらむ
我れなけれども
 巻8−1474
今頃は大城の山でほととぎすの鳴き声が響いていることだろう、
わたしはもうそこにはいないけれど。

大伴坂上郎女が帰京後に、大宰府を懐かしんで詠んだものとされている。

大野城跡増長天礎石群、後方の小高いところは土塁。


大野城跡鏡池。井戸の跡らしいが、雨乞いの伝説が残っていて、雨乞いに
使った鏡が今も池の底に沈んでいるという。