万葉の旅

逢坂

2013/11/15
EOS 5D/24-105


万葉集には逢坂山に関連した歌がいくつかあるが、逢坂山には万葉歌碑がない。逢坂山関址碑付近に歌碑がほしいところである。

白州正子は、『近江山河抄』の「逢坂越」で次のように書いている。

木綿だたみ手向の山を今日越えていづれの野べに廬せむ吾等     坂上郎女
吾妹子は逢坂山を越えて来て泣きつつをれど逢ふよしもなし       中臣宅守
吾妹子に相坂山のはたすすき穂には咲き出ず恋ひわたるかも      読人知らず

いずれも『万葉集』の歌であるが、最初の歌は大伴坂上郎女が、賀茂神社に詣でた後、逢坂山から琵琶湖に望み、再び山城の国に帰って詠んだ、と詞書にある。

逢坂山の歌に、木綿とか手向とか、神に関する言葉が多く使われるのは、近江と山城をへだてる重要な地点に、坂の神を祀っていたからである。坂の神は、また境の神でもあり、山の神も関の神も道祖神も、同じものを意味した。峠の語源はタムケであって、坂の神に木綿四手を供え、旅の安穏を祈った習慣が、やがて枕言葉となり、逢坂山の別名ともなった。

それは恋しい人に逢う坂であると同時に、逢うことを妨げる神聖な場所でもあった。そういう発想は、すべて「逢坂」という言葉から出ているが、遠い昔の忍熊王の思い出が重なっていなかったとは言い切れない。特に中臣宅守の歌は、狭野弟上娘子との恋が露顕し、越前へ流される途中詠んだもので、逢坂山での別離の情は切実なものがあったであろう。三番目の読人知らずの歌にも、絶望的な影はさしている。

旧道を歩いてみると、実際にも暗く寂しい峠であったことが想像され、盗人ばかりか魑魅魍魎も横行したと思われる。


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