万葉の旅

大崎

2015/5/15
PENTAX K-5Us
                                 


海南市の大崎は和歌浦湾の南に突き出している崎。
西から回り込んだところが下津湾で、万葉の時代から1000年後には紀伊国屋文左衛門がみかんを積んで江戸へ向けて船出した地である。
下津湾を北へ入り込んだところが大崎の港。


大崎の 荒磯の渡り 延(は)ふ葛の
行方もなくや 恋ひわたりなむ
 巻12−3072

大崎の荒磯のあたりに延び広がっている葛のつるのように、わたしも果てしもなく恋し続けることでしょう。


この歌碑は、「釣り公園シモツピアーランド」への入口にあり、小公園が整備されていて、ここから見る海の風景はおだやかである。


下津湾の風景。この日は天気がよく、海面が穏やかだった。

大崎の歌碑はもう一か所ある。

「釣り公園シモツピアーランド」の歌碑から西へ500mほど進み、左折して道なりに進むと県道167号線と合流する。その合流地点の海側に歌碑がある。


石上乙麻呂(いそのかみのおとまろ)卿、土佐の国に配さゆる時の歌

大崎の 神の小浜は 狭けども
百舟人も 過ぐと言はなくに 
巻6−1023


大崎の神の小浜は狭い浜ではあるけれども、たくさんの舟人たちが素通りすることなく立ち寄っていくというのに、私は立ち寄ることはできない。

石上乙麻呂は姦通罪で土佐へ配流された。そのときに船の上からこの歌を読んだとされている。


■大崎以外の地にある海南市の歌碑


父君に我(われ)は愛子(まなご)ぞ 
母刀自(ははとじ)に我は愛子ぞ 
参ゐ上る八十氏人の手向する
恐(かしこ)の坂に幣奉(ぬさまつ)り
我はぞ追へる遠き土左道(とさぢ)を

石上乙麻呂(いそのかみのおとまろ) 巻6- 1022


父君にとって私は愛しい子、お母様にとっても愛しい子。
都へ上る多くの人々が手向けする恐の坂に捧げものをして、私はたどっていく遠い土佐へ向かう道を。

歌碑には読人不詳と刻まれているが、大崎の歌碑と同様に、石上乙麻呂が土佐へ配流された際に詠まれたもので、大崎の歌はこの長歌に対する反歌である。

恐の坂は、奈良県柏原市の懼坂(かしこさか)とされている。昔から地すべりが発生し、今も地すべり対策の工事が行われているという。

この歌碑は下津町引尾の立神神社にある。
                             

立神神社は神殿北側の高さ20mの大岩とツツジで知られているという。
ツツジはほとんど散っていた。

紀の国の名水がある。手洗い所の水の出口はビワのデザイン。
このあたりはビワの産地である。
   
潮みたば いかにせむかと わたつみの
神が門(と)わたる あま処女(おとめ)ども

巻7-1216

歌碑は下津町方の粟嶋神社にある。

粟嶋はかつては海中にあり、干潟を渡って詣でた。
海女たちが粟嶋で魚貝を採集し、潮が満ちてきたらどうするのだろうかと心配している様子を歌ったものである。
    

歌碑は石段左手の楓の木の下にある。

太鼓橋には、上州山田郡願主治郎助、寛政九年(1797)年の銘がある。