万葉の旅

大津の宮

10/3/16
PENTAX K-7/17-70
                             

近江の荒れたる都に過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌
玉だすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 生れましし 神のことごと つがの木の いやつぎつぎに 天の下
知らしめししを そらにみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ひしめせか あまざかる 鄙にはあれど
いはばしる 近江の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の尊の 大宮は ここと聞けども
大殿は ここと言へども 春草の しげ生ひたる 霞立ち 春日の霧れる ももしきの 大宮ところ 見れば悲しも  巻1−29
反歌
楽浪さざなみの 志賀の辛崎 幸くあれど 大宮人の 舟待ちかねつ  
巻1−30
近江の志賀の辛崎は昔のままにあるが、もう大宮人の舟には出逢えなくなってしまった。
楽浪の 志賀の大わだ よどむとも 昔の人に またも逢わめやも  巻1−31
近江の志賀の大わだがいくら淀んでも、昔の大宮人にはもうめぐり逢えない。

中大兄皇子が大津に遷都したのは667年。翌年には即位して天智天皇となるが、671年に崩御。
天皇の子・大友皇子と天皇の弟・大海人皇子によって後継争いが起こる。672年の壬申の乱である。
大友皇子が敗れ、大津の宮は5年余で滅んだ。
柿本人麻呂は、その20年後に大津の宮の荒廃した様を見てこれらの歌を詠んだ。

                                                  


近江大津宮錦織遺跡にある歌碑。

大津の宮跡は住宅地に埋没して、形跡をわずかにとどめているにすぎない。

辛崎は現在の唐崎で、唐崎神社あたりとされている。

唐崎神社近くの唐崎苑という公園に、「楽浪の 志賀の辛崎 幸くあれど」の歌碑がある。

唐崎神社。境内には大きな松がある。

松の木の中に芭蕉句碑。