万葉の旅

忍坂おさか粟原おうばら

10/3/23
PENTAX K-7/17-70
                             
もりくの 泊瀬の山 青旗の 忍坂おさかの山は  走出はしりでの よろしき山の
出立の くはしき山ぞ あたらしき 山の荒れまく惜しも
巻13−3331 
泊瀬の山、青旗のある忍坂の山は、家から走り出て見るのに好もしい山で、出て立って見るのに美しい山だ。
この山の荒れてゆくのが惜しい。

 

初瀬川をはさんで、三輪山と対峙するのが外鎌山である。三輪山の標高は467m、外鎌山の標高は292mである。
この外鎌山が、万葉歌に詠まれた「忍坂の山」とされている。
現在では
「忍阪」と書き、「おっさか」と読む集落の東に外鎌山がある。
この歌にある青旗は葬送旗のことであり、山麓には、舒明天皇稜、鏡王女墓、大伴皇女墓がある。

舒明天皇稜。右手の道を登ってゆくと、鏡王女墓、大伴皇女墓がある。
 
 忍阪集落にたつ道標。
                         

忍阪の集落。


忍阪・生根神社の歌碑。

夕されば 小倉おぐらの山に 伏す鹿し
今夜は鳴かず 寐ねにけらしも

雄略天皇巻9−1664
夕方になるといつも小倉の山で臥す鹿が、
今夜は鳴かないで寝てしまったらしい。

小倉の山は外鎌山ではないかとされている。
歌碑は、少し離れた桜井市脇本の春日神社近くにある。
                       

鏡王女墓。

墓へ行く途中の小川の中に歌碑がたっている。犬養孝先生の揮毫。

秋山の 木の下隠り 行く水の 我れこそ増さめ 思ほすよりは
鏡王女 巻2−92
秋山の木の下を隠れて流れて行く川の水かさが増さるように、私こそ思いはまさっています。あなたがお思いになられるよりは。
鏡王女は藤原鎌足の妻であるが、額田王の姉といわれている。

                        

吉野の宮に幸す時に、弓削皇子が額田王に贈与る歌一首
いにしへに 恋ふる鳥かも ゆづるはの 御井の上より 鳴き渡り行く 弓削皇子 巻2−111
亡き父帝を慕う鳥でしょうか。ゆずりはの御井の上から鳴いて飛んでいくのは。
額田王、和へ奉る歌一首  倭の京より進り入る
いにしへに 恋ふらむ鳥は ほととぎす けだしや鳴きし 我が恋ふるごと 額田王 巻2−112
亡き人を慕うという鳥とは、ほととぎすです。おそらく鳴いたことでしょう。わたしがお慕いしているように。
忍阪から国道166号線を東へ約2km、 粟原寺跡の標識で右折し、棚田のある粟原の集落の中の山道を登る。
粟原寺跡は額田王終焉の地とされている。

                                              


十三重石塔と歌碑。

歌碑。

寺の礎石。
                                           

粟原寺は、持統8年(694)から造営をはじめ和銅8年(715)に完成。

粟原集落の中の道標。