万葉の旅

田結たい五幡いつはた

2017/10/31
K-5Us
                                   
敦賀から越前に向かうには海岸沿いを国道8号線が走っているし、北陸自動車道もある。万葉の時代、海岸沿いの断崖を切り開いた悪路しかなかった。

角鹿(つのが)の津にして船に乗る時に、笠朝臣金村が作る歌一首 并せて短歌
越の海の 角鹿の浜ゆ 大船に 真楫貫き下ろし 鯨魚取り 海道に出でて 喘きつつ 我が漕ぎ行けば ますらをの 手結が浦に 海人娘子 塩焼く煙 草枕 旅にしあれば ひとりして 見る験なみ 海神の 手に巻かしたる 玉たすき懸けて偲ひつ 大和島根を 
巻3−366

反歌
越の海の 手結が浦を 旅にして 見れば羨しみ 大和偲ひつ 
巻3−367

この時の金村は、悪路をさけて
角鹿(=敦賀)から船で北へ向かった。船から藻塩を焼く煙を見て歌を詠んだ。

田結(たい)の交差点付近に、長歌の一部が刻まれた美しい歌碑がある。海人娘子を海未通女と表記しているが、残念なことに、「未」が「末」となっている。
 


田結の少し北から敦賀湾の西岸を見る。朝、山には日が当たっているが海にはまだ日が当たっていない。

田結から敦賀湾を左に見ながら北へ、黒崎トンネルの南に五幡(いつはた)がある。ここは万葉の歌枕の地である。

掾(じょう)久米朝臣広繩が館にして、田辺史福麻呂(たなべのひとさきまろ)に饗する宴の歌
可敝流廻(かへるみ)の 道行かむ日は 五幡の 坂に袖振れ 我れをし思はば 
大伴家持  巻18−4055

天平10年3月、
大伴家持が帰京する田辺史福麻呂を見送った宴の席で詠まれたもので、可敝流(=鹿蒜)は今庄、五幡がこの地とされている。
五幡神社の灯篭にこの歌が刻まれているが、薄くて読み取りにくい。

田んぼのむこうに五幡神社があり、国道からよく見える。


境内から敦賀湾が見えるはずであるが、光線状態が悪くて見えない。
手前の灯篭に4055番歌が刻まれている。