万葉の旅

高千穂

2011/11/14-15
K20D

万葉集に高千穂という名が登場するのは、大伴家持の「族うがらを喩さとす歌」という長歌の中である。

ひさかたの、天の門開き、高千穂の、岳たけに天降あもりし、皇祖すめろきの、神の御代みよより、はじ弓を、手握り持たし、真鹿子矢まかごやを、
手挟たばさみ添へて、大久米おほくめの、ますらたけをを、先に立て、靫ゆき取り負ほせ、山川を、岩根さくみて、踏み通り、国求ぎしつ、
ちはやぶる、神を言こと向け、まつろはぬ、人をも和し、掃き清め、仕へまつりて、蜻蛉島あきづしま、大和の国の、橿原の、畝傍の宮に、
宮柱、太ふと知り立てて、天の下、知らしめしける、天皇すめろきの、天の日継ひつぎと、継ぎてくる、君の御代御代、隠さはぬ、明あかき心を、
すめらへに、極め尽して、仕へくる、祖おやの官つかさと、言こと立てて、授けたまへる、子孫うみのこの、いや継ぎ継ぎに、見る人の、語り継ぎて、
聞く人の、鏡にせむを、惜あたらしき、清きその名ぞ、おぼろかに、心思ひて、空言むなことも、祖おやの名絶つな、大伴の、氏うぢと名に負へる、
大夫ますらをの伴とも
  巻20−4465

磯城島しきしまの 大和の国に 明あきらけき 名に負ふ伴の男 心つとめよ  巻20−4466

剣太刀 いよよ磨ぐべし 古いにしへゆ さやけく負ひて 来にしその名ぞ
  巻20−4467

天平勝宝8年(756)、淡海真人三船おうみのまひとみふねの嘘の訴えによって、大伴古慈斐宿祢おおとものこじひすくねが出雲守を解任された。
そこで、大伴家持がこの歌によって大伴の一族の軽挙妄動を戒めた。


                                                        高千穂峡に流れ落ちる真名井の滝
くしふる神社の鳥居右手の坂道を登って行くと、大伴家持の万葉歌碑と日向風土記逸文が刻まれた高千穂碑がある。

このあたりはくしふる峰といわれ、古事記では、天照大神の孫・迩迩芸命(ニニギノミコト)が地上へ降り立った地とされている。

少し登ると、地上に降り立った神々が高天原を遥拝したとされる場所がある。

さらにその奥には、ウガヤフキアエズ(山幸彦)の宮殿の地とされる四皇子峯がある。

ここで、玉依姫との間に4人の皇子が産まれた。そのうちのひとりが後の神武天皇で、日向〜筑紫〜安芸〜備後〜熊野を経て大和に入り大和朝廷をつくったとされている。
 
            

高天原遥拝所

四皇子峯
            

くるふし神社の西、樹齢1300年のケヤキの下に泉がある。
これが高天原から移されたという天真名井(あまのまない)。

道の駅高千穂のライトアップされた天鈿女命(あめのうずめのみこと)
天照大神を誘い出すために天岩戸の前で踊ったとされている。


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