万葉の旅

鞆の浦

2010/7/11
PENTAX K10D


                                                            
    鞆の浦の背後の山中を走るグリーンラインから見る
海人小舟 帆かも張れると 見るまでに 鞆の浦廻うらみに 波立てり見ゆ  巻7−1182
漁師の小さな船が帆を張っているように見えるほどに、鞆の浦一帯に白波が立っているのが見える。
                                           

後山展望園地の1182番の歌碑。
すぐ近くに、水原秋桜子の句碑があった。
鞆の津の 沖ゆく帆あり 明易き
この句もなかなかいい。
ちなみに、「明易き」とは、夏の夜明けが早いという
意味の季語。

天平二年庚午の冬の十二月に、大宰帥大伴卿、京に向ひて道に上る時に作る歌

 我妹子が 見し鞆の浦の むろの木は 常世とこよにあれど 見し人ぞなき  巻3−446

 鞆の浦の 磯のむろの木 見むごとに 相見し妹は 忘れえめやも  巻3−447

 磯の上に 根延ふむろの木 見し人を いづらと問はば 語り告げむか  巻3−448

右の三首は、鞆の浦を過ぐる日に作る歌

大伴旅人は神亀4年(727)に妻大伴郎女を伴って大宰府へ赴任したが、翌年に郎女は大宰府で亡くなった。
天平2年(730)大宰府での任を解かれた旅人は奈良へ戻ることになり
鞆の浦を通ったときにこの亡妻挽歌が詠まれた。
                              


福禅寺対潮楼石垣下の446番歌碑。

鞆の浦歴史民俗資料館前の447番歌碑。


医王寺境内の448番歌碑。

歴史民俗資料館も医王寺も高台にあり鞆の浦が望める。

 


鞆の浦湾内の風景。
この右手にある集落の道が狭いため、この湾の一部を埋め立て橋をかけて交通の円滑化を図ろうとする案に対して、賛否が争われている。
中央に見える常夜灯の左手に湾を横断する形で橋をかけるという計画であるが、この景観は破壊されてしまうだろう。
住民の過半数が埋め立て架橋に賛成しているというが、反対派の訴訟が認められ前原国交大臣は埋め立てを認可していない。
1983年に最初の案が提示されてから27年になる。


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