万葉の旅

礪波となみ

2010/5/20
K-7
                         

天平勝宝2年(750)4月3日に、越中守だった大伴家持が越前の判官で親友の大伴池主に贈ったほととぎすの歌で、
過ぎし日を懐かしむ気持ちに耐えかねて思いを述べている。この年、家持はたくさんのほととぎすの歌を詠んでいる。

我が背子と 手携はりて 明けくれば 山で立ち向ひ 夕されば 振りさけ見つつ 思ひのべ 見なぎし山に
八つ峰には 霞たなびき 谷へには 椿花咲き うら悲し 春し過ぐれば ほととぎす いやしき鳴きぬ
ひとりのみ 聞けば寂しも 君と我れと 隔てて恋ふる 礪波山 飛び越え行きて 明けたたば 松のさ枝に
夕さらば 月に向ひて あやめぐさ 玉貫くまでに 鳴きと響
め 安寐寝やすいねしめず 君を悩ませ

大伴家持 巻19−4177

吾のみに 聞けばさぶしも ほととぎす 丹生の山邉に い行き鳴かにも
大伴家持 巻 19−4178

ほととぎす 夜鳴きをしつつ 吾が背子を 安眠やすいな寝しめ ゆめ心あれ
大伴家持 巻 19−4179


倶利伽羅峠の頂上付近に、長歌と短歌2首のほととぎすの歌碑がある。
真ん中の長方形の歌碑が4177番の長歌、奥が4178番の短歌、手前が4179番の短歌。

             



倶利伽羅峠の富山県小矢部市から石川県津幡町に入ったところの倶利伽羅峠津幡公園に3基の歌碑がある。
天平19年(747)、大伴家持が年次報告の為に奈良に赴くときに詠んだ歌を、留守を守る大伴池主に送ったが、
それに応えて大伴池主が長歌と短歌2首を詠んだ。

右端の四角い碑が4008番の長歌、真ん中が4009番の短歌、左端が4010番の短歌。

あをによし 奈良を来離れ 天離あまざかる 鄙にはあれど 
我が背子を 見つつしをれば 思ひやる こともありしを 
大君の 命畏
みことかしこみ をす國の 事取り持ちて
若草の 足結
あゆひ手作り 群鳥の 朝立ちいなば
おくれたる 我れや悲しき 旅に行く 君かも恋ひむ
思ふそら 安くあらねば 嘆かくを 留めもかねて
見わたせば 卯の花山の ほととぎす 音のみし泣かゆ
朝霧の 乱るる心 言にいでて 言はばゆゆしみ
礪波山 手向けの神に 幣奉り 我がこひのまく
はしけやし 君が直香
ただかを ま幸くも ありたもとほり
月立たば 時もかはさず なでしこが 花の盛りに
相見しめとぞ

大伴池主 巻17−4008


玉桙
たまほこの 道の神たち 賄まひはせむ
我が思ふ君を なつかしみせよ 
大伴池主 巻 17−4009


うら恋し 我が背の君は なでしこが
花にもがもな 朝な朝な見む 
大伴池主 巻 17−4010

源平合戦のころまで礪波山と呼ばれていた倶利伽羅峠には、万葉歌碑以外にもいろいろな碑がある。


源平古戦場の石碑のそばに芭蕉塚。
 義仲の 寝覚の山か 月悲し                         


飯尾宗祇句碑。もる月に あくるや関の となみ山


北陸道・不動の茶屋跡の十返舎一九文学碑。


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