万葉の旅

多武峰とうのみね

2013/11/13
EOS 5D/24-105
                                    
桜井の等弥(とみ)神社から県道37号線を南へ多武峰の談山神社まで、付近の万葉歌碑をたずねた。

等弥神社は山を背にし山を境内の一部とした大きな神社で、万葉仮名の歌碑が3基あった。

妹が目を 跡見とみの崎の 秋萩は
此月ごろは 散りこすなゆめ

大伴坂上郎女 巻8−1560
あなたが見るという跡見の崎の秋萩は、
しばらくは決して散らないでほしい。

本殿への石段の右手。
                               

射目立てて 跡見とみの丘辺の なでしこの花
房手折り われは行きなむ 奈良人のため

紀朝臣鹿人 巻8−1549
鳥見の丘辺に咲く撫子の花をたくさん手折って
持っていこう 奈良にいるあの人のおみやげに。
五七七五七七の変調短歌。
本殿に向かって左手の稲荷神社鳥居西側。

うかねらふ 跡見とみ山雪の いち白く
恋ひば妹が名 人知らむかも
巻10−2346
鳥見山に降り積もった雪のように、はっきりと人の目に付くほどに恋したなら、私の恋人の名は人に知られてしまうだろうか。
鳥見山散策路の霊畤拝所にある。
                                      
家ならば 妹が手まかむ
草枕 旅に臥やせる この旅人あはれ
聖徳太子 巻3−415
家にいたならば 妻の手枕で休むだろうに
旅先で倒れているこの旅人はいたわしい。


桜井市上之宮の春日神社にある。
万葉集に聖徳太子の歌があることを、この歌に出会うまで知らなかった。
                          
間人宿祢大浦(はしひとのすくねおほうら)が初月(みかづき)の歌二首(内一首)
倉橋の 山を高みか 夜隠りに 出で来る月の 光乏しき
巻3−290
倉橋の山が高いからであろうか、夜遅く出てくる月の光が暗い。

聖林寺門前の石段下にある。



聖林寺から見た倉橋山(音羽山)。


 
                                 

梯立はしたての 倉橋山に 立てる白雲
見まく欲
り わがするなへに 立てる白雲
巻7−1282
倉椅山に立っている白雲よ。
見たいと思っていたその時に立っている白雲よ。

倉橋の高齢者福祉センター入口右手の土手の上。


梯立の 倉橋山を 嶮しみと 岩かきかねて 吾が手とらすも
倉橋山は険しくて、岩にすがりついて登ることができず、私の手を取らせた。
梯立の 倉橋山は 嶮しけど 妹とのぼれば 嶮しくもあらず
倉橋山は険しいけれど、愛するひとと登れば険しいことがあるものか。

多武峰の不動滝にある。
速総別王(はやぶさわけのみこ)作で古事記からの歌碑。湯川秀樹博士揮毫で2首が刻まれていてめずらしいので掲載した。

                                

かつては寺院だった談山神社の東門。

女人禁制だったころの名残の石碑。
                            
ひさかたの 天行く月を 網に刺し 我が大君は 蓋きぬがさにせり
柿本人麻呂 巻3−240
大空を行く月を網に捕らえて、わが大君は蓋にしている。

蓋」は貴人の頭上に差し掛ける長柄の大傘。
山岡荘八氏の揮毫で、東門をくぐったすぐのところにある。
                             

ふさ手折り 多武たむの山霧 繁みかも 細川の瀬に 波の騒ける
柿本人麻呂 巻9−1704
多武の山霧が深いからでしょうか、細川の瀬に波が騒いでいます。

犬養孝先生揮毫で、多武峰観光ホテル下の駐車場にある。

我れはもや 安見児やすみこ得たり
皆人の 得かてにすといふ 安見児得たり 
藤原鎌足 巻2−95
私は安見児を得た。皆が得がたいと言っている安見児を得た。
安見児は、後宮下級女官の采女(うねめ)。
遠藤周作氏の揮毫で、談山神社の神廟拝所広場にある。字が不鮮明。