眼鏡橋巡礼フォトギャラリー(1) 三五郎と勘五郎

東陽村(旧種山村)は熊本市と八代市のほぼ中間にあり、ショウガの生産量日本一の村で、山すそにはショウガ畑が広がっている。種山村は肥後石工発祥の地であり、多数の名工を生んでいるが、その代表が岩 永三五郎と甥の橋本勘五郎である。

種山石工の祖・藤原林七が建造した眼鏡橋が残る鍛冶屋谷に、木島安史氏設計による「石匠館」が開館した。外壁は総石造りで1万個を越える凝灰岩が使われていて、アーチ橋の歴史やジオラマ模型など展示内容も素晴らしい。


   
岩永三五郎は、1810年代から1840年代の約30年間に数多くの限鏡橋を建造しているが、その代表作は鹿児島の 五石橋である。

写真集『眼鏡橋巡礼』では、鹿児島県の江の口橋、熊本県の新免眼鏡橋と雄亀滝橋(おけだけばし)を紹介している。







←夏の昼下がり
 江の口橋
  鹿児島県川内市
 1849年
   

   
蔦がからまる
新免眼鏡橋
熊本県八代市
1834−39年
雄亀滝橋は、砥用町山間部の相川井手という全長11kmにおよぶ潅漑用水路の途中にある谷にかけられた水路橋 で、三五郎弱冠25歳のときの作品であるが、建造から180年を経た今も60町歩の水田に水を送りつづけている。

この雄亀滝の架橋技術が基礎になって、通潤橋は建造されたという。


←山中の水路橋
 雄亀滝橋
  熊本県砥用町
 1814年

橋本勘五郎が活躍した時代は、1840年代から1880年代の江戸末期から明治初期にかけての約40年間である。 写真集『眼鏡橋巡礼』には、福岡県の洗玉橋、熊本県の霊台橋、通潤橋、大窪橋、立門橋(たてかどばし)、永山橋(ながやまばし)、下鶴橋を掲載している。


漆喰文字の立門橋/熊本県菊池市/1860年


春の大窪橋/熊本県砥用町/1849年
   

清流に架かる永山橋/熊本県菊池市/1878年


   
下鶴橋は御船町の八勢川にかかっていて、アーチの径間は霊台橋に匹敵する。丸く削られた欄干、蓮華の宝珠、親柱の盃や徳利の透か し彫りなどの特徴がある。

4年の歳月をかけてじっくりと建造された勘五郎晩年の作品で、限鏡橋を芸術の域にまで高めた勘五郎の余裕が感じられる。




←下鶴橋の華麗な石の造形
  熊本県御船町
 
1886年