眼鏡橋巡礼 通潤橋 国指定重要文化財

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                   通潤橋物語

    新米が出まわる頃、「やべの米」という銘柄の米を買った。袋には青空を背景にした通
   潤橋の放水が描かれていて、裏には、「私達、矢部町農協は、通潤橋で知られる熊本県矢
   部町に位置しております。農業用水路である通潤橋にも見られますように矢部町は篤農家
   の地であります。こうした伝統を受けつぎながら、現在私達は海抜500mの高冷地の冷
   涼な気候を活かして無農薬・低農薬米栽培に取り組んでおります。安全でおいしいお米を
   皆さんの食卓にお届けできることが、大きな喜びであります。」と書かれている。

    今からおよそ150年前、矢部の白糸台地8か村は周囲を深い谷に囲まれていたため水
   に恵まれず、農民はまずしい生活をおくっていた。当時の惣庄屋布田保之助(ふたやすの
   すけ)は、谷に石橋をかけ用水路を引いて、農民を救いたいと考えた。

    谷の深さは約30m、当時の技術では、霊台橋のように石垣で高さをかせいでも23m
   くらいが限度であった。そこで、7mの高低差を補うためにサイフォンの原理を使って揚
   水することにし、通水管は石管を特別な漆喰でつないで漏水を防いだ。

    水路橋の建造を種山村の宇市・丈八(のちの橋本勘五郎)兄弟に依頼し、1852年1
   2月に着工して1年8か月のく苦難のち1854年7月に完成した。

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2001年11月7日朝の通潤橋。
補修工事の青いシートが見える。
 はじめての通水の日、保之助は白装
束を身にまとい、ふところに刀をしの
ばせ、死を覚悟して橋の上に座ってい
た。やがて水門が開けられ、笹原川か
ら引かれた水が轟々と流れると、周囲
からは万歳万歳の歓声が谷にこだまし
た。保之助の執念と石工集団の高度な
技術と民衆の力が、ひとつになって実
を結んだのである。

 そして、通潤橋の命の水は、今も白
糸台地の水田を潤しつづけている。