
旧竹田荘入口の石段。 |

母屋。竹田は1階で詩画の構想に耽ったという。 |
旧竹田荘前の「歴史の道」を進むと殿町武家屋敷跡に出る。


時刻は12時半。曇りの予報だったが、日差しが強くて暑かった。トップライトで、町並みを撮るには最悪の条件下だった。 |
殿町武家屋敷跡の先のT字路を右へ坂道を上るとキリシタン洞窟礼拝堂跡。
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礼拝堂は岩盤を掘削して造られている。
戦国時代末期の岡城主は熱心なキリシタンだったため、キリスト教が禁止された江戸時代になっても、竹田にはたくさんのキリシタンが住んでいたという。礼拝堂の右手には神父が住んでいたという洞窟がある。

扉の隙間から覗くと、ドーム状の祭壇があった。 |
竹田市立歴史資料館の北に、滝廉太郎記念館がある。
父の転勤で12歳の時に竹田へ引っ越してきて2年半を過ごした家が、滝廉太郎資料館として公開されている。
この日は風があるもののかなり暑い日だったが、滝廉太郎記念館は玄関に限らずすべての障子が閉め切られていた。
閉め切っていてもあまり暑さを感じなかったので、冷房を使っているのだろうが、障子を開け放ったら風が通って気持ちがいいだろうにと思った。
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岩を掘削して造った馬小屋。 |

裏山の竹林への石段から見た母屋。右手奥に井戸がある。 |

観音寺近くの八幡川横丁は白壁がまぶしい。 |

八幡川横丁近くの御客屋敷は他藩からの使者の宿泊所。 |