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宇土(うと)城下   2015/12/6
PENTAX K-7

宇土には、1kmくらいの近いところにふたつの城跡がある。
ひとつは、南北朝時代に地頭宇土高俊によって築城された宇土城。
もうひとつは、戦国時代にキリシタン大名の小西行長によって築かれた宇土城。
江戸時代には熊本支藩として宇土藩3万石が創設され、城下町として整備されたそうだが、城下町の面影はほとんど残っていない。


船場川にかかる船場橋は宇土を代表する風景。
安永9年(1780)の建造で、壁石は火山岩の一種・安山岩、アーチ部や高欄は火砕流が堆積して固まった赤っぽい馬門石(まかどいし)が使用されている。


橋面は平らではなく、太鼓橋になっている。


太鼓橋なのですべらないように階段が刻まれている。


船場川は物資の運搬に使用され、その積み降ろしを行うために、階段状の雁木が設けられている。雁木のむこうには長屋門が見えている。
新涼や水深く見て橋渡る 宇土出身の明治から大正期に活躍した俳人で、子規や虚子に俳句を学んだ篠原温亭の句。


寛文3年(1663)に完成した轟泉水道は日本最古の水道で今も現役。


宇土の歴史を見守ってきた地蔵。祠にも凝灰岩が使われている。


船場川沿いの黒塀の風景。川岸には樹齢150年から200年のエノキが8本ある。


船場川から少し離れた門内町にある宇土藩家臣の高月家。


宇土市文化財に指定されている高月家表門。