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柳川まち歩き 参考サイト 柳川まち歩きマップ 2015/6/26
EOS 5D  PENTAX K-7

柳川へは3〜4回来ているが、以前たずねたのは16年前になる。
「映画を旅する」という文庫本で、1984年に制作された大林宣彦監督の16ミリ映画「廃市(はいし)」が柳川でロケされたことを知り、
そのDVDをみて柳川に行って見たくなった。
この作品については評価が分かれるところだが、監督自身が作曲したという音楽と掘割の風景が同化していて素晴らしかった。
映画の中の季節は夏なので、できれば真夏の方がよかったが、今回は梅雨の真っ只中だった。

映画のロケ地についての情報はあまり得られなかったので、映画のロケ地にはこだわらず、興味を持った場所を歩いた。
「水郷柳川写真集 水の構図」(詩歌:北原白秋、写真:田中善徳)、木下陽一写真集「柳川詩情」も参考にさせていただいた。


柳川城堀水門付近。

■松月文人館付近
西鉄柳川駅の近く、三柱神社への赤い欄干橋を渡ると木造3階建ての松月文人館がある。
もとは明治29年(1896)に建てられた料亭懐月楼で、大正時代には料亭松月となり、白秋を慕う文人たちのサロンとなっていたが、
1994年に廃業し松月文人館として文人の手紙や色紙が展示されている。松月文人館の前は川下りの起点となっている。


松月文人館を東から見る。


松月文人館玄関。

   右は松月文人館入口の立秋詩碑。北原白秋の詩集「思い出」に収めら
   れていて、さびれてゆく懐月楼を詠ったものである。



三柱神社欄干橋近くの北原白秋「水の構図」碑。
水郷柳河こそは、我が生れの里である。
この水の柳河こそは、我が詩歌の母体である。
この水の構図この地相にして、はじめて我が体は生じ、我が風はなった。


松月文人館北側にある五足の靴ゆかりの碑。
「五足の靴」は、明治40年(1907)7月28日から西九州を約1か月旅した東京新詩社の5人(与謝野寛、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里)による紀行文。旅の行き帰りに白秋のふるさと柳川に立ち寄っている。


松月文人館から西へ500mほど行った旭町の住宅地の中に、元祖本吉屋(もとよしや)という鰻屋さんがある。
創業は天和元年(1681)、鰻のせいろむしを世に出してから330年余になる。

■柳川城堀水門付近
城の防御用に築造されたもので、城内に入ることができる唯一の水門。
緊急時は、この水門を閉めて上流の矢部川の堤防を切り崩して水を流すと、柳川城周辺を残して周囲は水浸しになるという。


城堀水門入口。


水門の幅は2.6m、長さは15.7m、高さは3.8m。


水門をくぐった先の風景。


水門のすぐそばに高浜虚子の句碑。 ひろごれる 春曙の 水輪かな

■鶴味噌(並倉)付近
鶴味噌と言ってもピンと来ないかもしれないが、並倉といえば水辺に煉瓦の倉が並んだ柳川を代表する風景。
鶴味噌醸造は明治3年(1980)創業の味噌と味噌加工品の会社で、並倉は鶴味噌醸造の倉。


鶴味噌醸造の玄関。


昭和30年代まではこのようなゴミ箱を使っていた。

   右は、工場の門柱に貼られたホーロー看板。



壇平橋と並倉。煉瓦の建物は麹室で、大正時代の建造。


並倉の美しい煉瓦の造形。並倉は登録有形文化財。

■日本の道百選「水辺の散歩道」
柳川市役所の南、川下りコース沿いの700mほどの道。


水辺の散歩道の道標。


水辺の散歩道の東端付近。この辺りはひときわ緑が豊か。


劉寒吉自筆のうなぎ供養碑。


柳川出身の自由律の俳人木村緑平の句碑。


裏面には種田山頭火を訪ねた時の句。


水辺の散歩道の西端・弥兵衛門橋(やえもんばし)は、慶長10年(1605)に架けられたというから建造から400年を超えている。
そばに白秋の歌碑がある。 
水のべは柳しだるる橋いくつ 船くぐらせて涼しもよ子ら

■白秋生家跡付近



白秋生家の土間。


裏の土蔵。


矢留大神宮の白秋歌碑。
見ずならむ一度見むと産土の 宮の春日を恋ふらく我は


白秋の母校、矢留小学校横の「水の構図」碑。


白秋詩歌苑の帰去来詩碑。
山門は我が産土 雲騰る南風のまほら 飛ばまし今一度、
筑紫よかく呼ばへば 恋ほしよ潮の落差 火照り沁む夕日の潟
・・・・・・・

■水天宮〜殿の倉〜かんぽの宿の水辺風景


水天宮。


川べりにはうなぎ屋さんが並んでいる。


殿の蔵は立花家史料館。かたわらに白秋歌碑。
我ついに還り来にけり倉下(くらした)や揺るる水照(みでり)の影はありつつ


かんぽの宿付近は川幅が広く緑も多くて、川下りコースの中で一番気持ちがいいのではないだろうか。


この日の柳川散歩はこの木橋で終えた。もう一度来ることがあれば、この木橋から柳川散歩をはじめたいと思う。