宮本武蔵の旅 決闘の地・巌流島 海峡散歩/巌流島 巌流島2003

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門司の風師山頂より。99.4.7

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下関側の海から見た巌流島。背後には門司から小倉へと続く山並みが見
える。武蔵もこの山並みを目にしたことだろう。
96.7.28
   



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門司と小倉の境界の手向山公園には、村上元三氏が昭和26年(1951)に建立した佐々木小次郎の碑がある。碑には「小次郎の眉涼しけれつばくらめ」と刻まれていて、心にしみる。99.4.7


巌流島は、江戸時代に描かれた安藤広重や歌川貞秀の絵によると、海から岩がそそりたって一面に松がはえている。当時は岩流島と呼ばれていた。

明治時代までの巌流島は、現在の3分の1ほどの大きさで、彦島との間に砂洲があり、干潮になると中洲があらわれた。大正時代から砂洲の埋め立てを行い、巌流島は現在の大きさになった。

巌流島の決闘は、この砂洲で行われたのではないかと考えられている。佐々木小次郎は、小倉の長浜から船で巌流島にむかった。彦島に弟子待という地名があるが、小次郎の弟子たちが、ここで小次郎が帰ってくるのを待っていたことに由来しているという。一方、武蔵は壇の浦から巌流島へむかったという。
   

「小次郎、負けたり!」
「なにっ」
「きょうの試合は、すでに勝負があった。汝の 負けと見えたぞ」
「だまれっ。なにを以って」
「勝つ身であれば、なんで鞘を投げ捨てむ。鞘 は、汝の天命を
 投げ捨てた」
「うぬ。たわ言を」
「惜しや、小次郎、散るか。はや散るを急ぐかっ」
「こ、来いっ」
「おおっ」

 巌流は、頭上の長剣で、大きく宙を斬った。その切っ先から、
 敵の武蔵が額を締めていた柿色の手拭が、二つに断れて、ぱら
 っと飛んだ。然し、その瞬間に、巌流の頭蓋は、櫂の木剣の下
 に、小砂利のように砕けていた。

           
 
 小次郎の冥福を祈って建てたものであろう

武蔵にとって小次郎との決闘は、生涯で最も大きな出来事だったと思われるが、「五輪書」には、
そのことが一言も書かれていない。何か書きたくない理由があったのだろうか大きな謎である。


巌流島の休憩所にあったイラスト。決闘のシーンに関門橋が描かれているのが何ともおもしろい。


関門海峡を背に決闘の銅像。関門橋、海峡を行く大きな船、門司港のレトロタワーなどが見える。