宮本武蔵の旅 伊織と暮らした小倉

◆伊織が出仕した小倉城  

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1959年に再建された小倉城天守閣。97.3.31

武蔵の養子・伊織が仕えていた播州明石の城主小笠原忠真が寛永9年(1632)に豊前小倉へ移封されたことにより、伊織も小倉へ移った。

この時に、武蔵も伊織とともに小倉へ移り、
寛永17年(1640)に熊本に移るまでの8年間、武蔵は小倉で暮らした。









   

◆伊織の祖父小原信利の墓参におとずれた金田
02.3.12 CAMEDIA

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常立寺付近のたんぼの中に立つ
宮本武蔵の碑。

天正15年(1587)香春岳城攻撃の時に討ち死にした小原信利の菩提を弔うために、小倉滞在の8年の間に、墓がある金田の日蓮宗常立寺(じょうりゅうじ)を度々おとずれ、その時に武芸や禅を伝えたという。

<香春岳城とは>
現在の福岡県香春町の香春岳にあり、天慶3年(980)に藤原純友が築いた。豊臣秀吉の九州征伐の前哨戦が香春岳城の戦いで、天正14年(1586)、豊臣軍が香春岳城を囲んで攻撃、1ヶ月ほどで城主高橋元種は降伏した。1600年、香春岳城は 細川家の領地となり、1615年の 一国一城令によって廃城となった。別名鬼ヶ城

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  常立寺の石段の下から山門を見上げる。

◆武蔵の碑がある手向山

手向山公園
は、宮本武蔵碑、佐々木小次郎碑、宮本伊織の墓など武蔵ゆかりの地。 
海峡散歩/北九州市・手向山手向山公園で特に目を引くのは宮本武蔵碑である。養子の伊織が、武蔵の死の9年後に建立したものであるが、大きな碑面に約1000字がびっしりと刻まれている。内容は武蔵の最後の言葉であるが、最上部の「兵法逝去シテ絶へズ 」が印象的である02.1.9 CAMEDIA
           
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  武蔵の養子・伊織の墓。宮本
  家の墓地の中でも、ひときわ
  目立つ2mを越える自然石の
  堂々たるもの。
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伊織が1954年に建立した3m
を越える宮本武蔵碑。最上部
に、天仰実相円満兵法逝去不
絶と刻まれている。
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展望台から海峡を望む。中央が彦島、
左に海峡ゆめタワー、右に巌流島の
灯台が見える。

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