風景への旅

宮本武蔵の旅

宮本武蔵に興味を持ったのは、中村錦之助や三船敏郎が主演する映画を観てからである。あれからかなりの時間が過ぎたが、インターネットの情報などを使って、武蔵が旅した風景をたずねてみたいと思う。




musasi-syouzou.jpg (84386 バイト)
熊本市島田美術館所蔵の宮本武蔵肖像画


 兵法の道、二天一流と号し、数年鍛錬の事、初めて書物に顕さんと
 思ひ時に寛永二十年十月上旬の頃、九州肥後の地岩戸山に上り、天
 を拝し、観音を礼し、仏前にむかひ、生国播磨の武士新免武蔵守藤
 原の玄信、年つもって六十。

 我、若年の昔より兵法の道に心をかけ十三にして初めて勝負をす。
 其のあいて、新当流有間喜兵衛といふ兵法者に打勝ち、十六歳にし
 て但馬国秋山といふ強力の兵法者に打勝つ、二十一歳にして都に上
 り、天下の兵法者にあひ数度の勝負をけっすすといへども、勝利を
 得ざるといふ事なし。其後国々所々に至り、諸流の兵法者に行合ひ
 六十余度迄勝負をなすといへども、一度も其利をうしなはず、其程
 年十三より二十八、九迄の事也。

 我、三十を越へて跡をおもひみるに、兵法至極にしてかつにはあら
 ず。をのづから道の器用有りて、天理をはなれざる故か。又は他法
 の兵法、不足なる所にや。其後なをもふかき道理を得んと、朝鍛夕
 錬してみれば、をのづからを兵法の道にあふ事、我五十歳の頃也。
 夫より以来は尋ね入るべき道なくして、光陰を送る。兵法の利にま
 かせて、諸芸・諸能の道となせば、万事におゐて我に師匠なし。
  〜「五輪書」より引用

 生誕の地・宮本

 岡山県大原町、兵庫県佐用町

ganryu-kazasi.jpg (47098 バイト)
/// 巌流島ウォッチング ///

 青年時代・修行の旅  龍野、姫路、豊前、京都、奈良、柳生
 決闘の地・巌流島  下関、北九州小倉
 伊織と暮らした小倉  北九州小倉、福岡県金田
 終焉の地・熊本  熊本

 天正12(1584) 1歳  平田無二斎の次男として美作国吉野郡宮本村に生まれる。
 慶長1 (1596)13歳  播磨国平福で新当流有馬喜兵衛とはじめて試合して勝つ。
 慶長4 (1599)16歳  但馬国秋山某という兵法者に勝つ。
 慶長5 (1600)17歳  伏見城攻防、岐阜城攻め、関ケ原の合戦に参戦。
 慶長9 (1604)21歳  京都の蓮台野・一乗寺下り松・三十三間堂にて吉岡一門に勝つ。
               奈良で槍の奥蔵院道栄に勝つ。伊賀の鎖鎌の使い手・宍戸梅軒に勝つ。

 慶長10(1605)22歳  江戸にて柳生新陰流大瀬戸隼人・辻風典馬に勝つ。
 慶長13(1608)25歳  明石にて、神道流夢想権之助を破る。
 慶長17(1612)29歳  舟島(巌流島)にて中条流佐々木小次郎に勝つ。
 慶長19(1614)31歳  大坂冬の陣・夏の陣に参戦。
 元和4 (1618)35歳  東軍流三宅軍兵衛に勝つ。
 
元和5 (1619)36歳  造酒之助を養子として、姫路城下に住む。
 寛永1 (1624)41歳  伊織を養子にする。
 寛永
3 (1626)43歳  造酒之助、主君本多忠刻の墓前で殉死。伊織、明石にて小笠原忠真に仕える。
 寛永7 (1630)47歳  名古屋にて、徳川義直家臣を破る。
 寛永
9 (1632)49歳  伊織、小笠原忠真に従って小倉に移る。
 寛永11(1634)51歳  尾張国で宝蔵院流高田又兵衛を倒す。
 寛永15(1638)55歳  松江にて、出雲松江藩主・松平出雲守直政を破る。
               伊織とともに小笠原忠真の指揮監として島原の乱に出陣。
 寛永17(1640)57歳  細川忠利より客分として熊本に迎えられる。
               細川忠利家臣・柳生新陰流氏井椰四郎を破る。細川忠利家臣・塩田浜之助を破る。
 寛永18(1641)58歳  細川忠利の命により兵法三十五箇条を書く。
 寛永20(1643)60歳  岩戸山霊厳洞にこもり五輪書を書きはじめる。
 正保2 (1645)62歳  五輪書を書き終えるが病気が重くなり、独行道十九条を書いて5月19日永眠。


 since 2007/10/1