宮本武蔵の旅 青年時代・修行の旅

◆円明流を指導した龍野 2000.4.29 撮影  

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復元された龍野城の櫓。
桜から新緑へ櫓の白と新緑がまぶしい。

武蔵は17歳で関ヶ原の合戦に参戦し、21歳の時に京都にあらわれ、吉岡一門と対決するが、この4年間の行動はよく分からない。豊後中津や英彦山にいたという説もある。。


武蔵は18歳の時に龍野にあらわれ、円光寺で円明流を指導し印可状を与えたと伝えられている。円光寺には、その印可状が残っているという。

武蔵の生誕地・大原町宮本から京都へ行くには、龍野や姫路を通る可能性は高く、龍野に武蔵の足跡があってもおかしくない。

龍野は、「赤とんぼ」の作詞者・三木露風の生誕地としてよく知られているが、色々な資料を見ても、宮本武蔵のことは触れられていない。わたしが龍野をたずねたのは、『男はつらいよ第17作寅次郎夕焼け小焼け』のロケ地探訪が目的だった。

◆天守閣に幽閉された姫路 1997.12.6 撮影
 

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姫路城は白鷺城とよばれ、世界遺産、国宝に指定され
ている。

吉川英治の原作では、3年間、姫路城天守閣に幽閉されたことになっている。姫路城は、のちに武蔵の養子造酒之助(みきのすけ)が出仕することになるので、武蔵もあの美しい天守閣を見たことだけは間違いないだろう。

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初冬の空に、秋の名残りの柿と姫路城。

◆豊前国求菩提山
2002.12.27 撮影

 
 関が原の合戦に西軍として参戦し敗れた武蔵は、武者狩りから逃れるため、豊前国中津で道場を開いていた父無二 
  斎をたずねたということが伝えられている。
  この頃、武蔵は禅寺で
座禅し、さらに、修験道の聖地求菩提山にこもった。
   

雪の求菩提山。

求菩提5窟のひとつ、吉祥窟。

◆京都の決闘地 2002.5.22 撮影

●蓮華王院・三十三間堂
 京都郊外の蓮台野で武蔵に打ち据えられた兄清十郎の
  汚名を返上するため、吉岡伝七郎は武蔵に果し合いを
  申し込む。所は蓮華王院裏地・三十三間堂、ときは戌
  の下刻(午後9時)、かなり遅い時刻であった。

●一乗寺下り松
 吉岡一門との京都での三度目の決闘地が一乗寺、待つ
  は門弟数十人と名目人の幼い吉岡又七郎。武蔵は大勢
  の相手に立ち向かうため又七郎めがけて突進し、その
  首をはねた。狼狽した門弟たちは応戦もままならず、
  武蔵は二刀を振りかざして脱出した。

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  小さな松の陰に「宮本吉岡決闘の地」の碑 。
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 初代の松は枯れ、八大神社に祀られていた。

◆奈良から柳生へ
2002.5.29/2003.4.8撮影


奈良国立博物館前庭の宝蔵院跡。
井戸跡の石組みが残る。
武蔵は、奈良の宝蔵院で奥蔵院住職道栄を破った。武蔵は、奥蔵院に気に入られ、しばらく宝蔵院に逗留したという。当時、宝蔵院は奈良国立博物館付近にあった。武蔵は、柳生新陰流との試合を望んだが、奥蔵院から、柳生石舟斉は老齢で、宗矩をはじめ子息たちは江戸にいることを聞き、柳生行きを断念する。










   

 武蔵は、のちに柳生の里をたずねているが、そのときは、柳生石舟斉はすでに亡く、子息たちも江戸にいて、柳
  生新陰流との立会いは果たせなかった。武蔵が歩いたであろう旧柳生街道をたどってみた。武蔵に似合いそうな
  いい雰囲気の道だった。
   
 ●滝坂道
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新薬師寺から東へ、春日山と高円山の谷あいを流れる能登川に沿って、うっそうとした石畳の昔ながらの山道を登る。

道のかたわらには、夕日観音、朝日観音、首切り地蔵など、鎌倉時代に造られた美しい石仏が出迎えてくれる。

この道は、奈良市民の散策コースになっていて、滝坂道ではたくさんの人たちに出会った。


←滝坂道の岩に刻まれた地蔵


   
 ●石切峠
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滝坂道が尽きるところで、有料道路の奈良奥山ドライブウェイに出る。ここから、車が1台通れる程度の道が東へ分岐している。これが柳生街道で、400mくらい進むと、石切峠の茶屋に達する。

昔ながらの風情の茶屋で、
草餅、生姜湯、甘酒などが売られている。鴨居には槍や鉄砲が立てかけてあり、武芸者が酒代がわりに置いていったという。神道無念流を図解した武芸長が残されている。


←柳生側から見た峠の茶屋



   
 ●円成寺  
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柳生街道随一の古刹。創建は平安時代であるが、室町時代に焼失し再建された。運慶作の大日如来が有名で、庭園は平安時代の数少ない遺構である。


←池の対岸から山門を見る








   
 ●柳生の里

 
 柳生の里は、徳川将軍家の兵法指南役だった柳生一族の歴史が刻まれ、静かな山里には柳生一族ゆかりの
    場所が点在している。武蔵がここをおとずれた形跡は残っていないが、石舟斉塁城跡に立って、はるかな
    昔に思いを馳せるのは楽しい。
   
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 柳生石舟斉の屋敷跡、今は芳徳禅寺。   家老小山田主鈴屋敷跡の高い石垣。

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 柳生陣屋跡付近の柳生街道沿いの摩崖仏。 芳徳禅寺裏にある柳生家墓所入口の六地蔵。

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