石造仁王の構図〜宮崎市、西都市

 平賀快然作の仁王

平賀快然は現在の宮崎市熊野の出身で、禅僧としての活動以外に、元禄16年(1703)から宝暦7年(1757)にかけて仏師として活躍した。
串間延寿院や串間円立院の作品は赤い彩色が残り鬼気迫るものがあるが、筆者は快然の作品の方が好ましく思える。

伊満福寺(いまふくじ)の仁王/宮崎市古城町門前/元禄16年(1703)
  2011/10/9 K20D
国道269号線を南下、宮崎産業経営大学入口を右折し、1kmほど先の古城町で左折、そして300mほどで右折し北へ約400m。
さらに右折して200mくらいで左手に見えて来る。池を見ながら進めば境内へ着く。地形図に載っている。
 

 

内山禅寺の仁王/宮崎市清武町/延享2年(1745)
2011/10/9 K20D
清武ICの東500mくらい、ICから下りてすぐの左手にある。

黒坂観音堂の仁王/宮崎市清武町/建造年不明
2011/10/9 K20D
宮崎大学病院から西へ500mほど、黒坂の交差点近く、黒坂保育園の向かいにある。

 

松崎観音堂の仁王/宮崎市田吉/元禄16年(1703)
2011/10/9 K20D
宮崎カントリークラブの東側にある。標識がなくてかなり道に迷った。
住所は田吉であるが、地形図で松崎と書かれたあたりの墓所のマークがあるところ。近くでたずねた方が早い。

 

日向国分寺跡・木喰五智館の仁王/西都市三宅/享保13年(1728)
2012/2/13 K20D
日向国分寺跡に建てられた木喰五智館の前にある。
木喰とは享保3年(1718)甲斐国に生まれたお坊さんで、仏像を彫りながら日本各地を歩き、天明8年(1788)この地に至り、住民に乞われて
国分寺の住職になった。9年間の滞在中に、国分寺が火災にあったためその再建に取り組み、木喰彫像最大の五智如来像を完成させた。

仁王像は、寛政3年(1792)の火災以前に建造されたものであるが、火災の被害を受けなかったようだ。



 
左は折からの雨にぬれて黒々としているが、右は白い苔が全体に付いていて、妙な迫力がある。 


日向国分寺跡の石段と礎石。


木喰上人が幹に仏像を彫り込んだとされているイチョウ。


五智如来像。左から、宝生如来、薬師如来、大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来。

石造仁王の構図次へ