山頭火と歩く

渥美半島

2012/10/13 K20D EOS 7D

山頭火は昭和14年(1939)3月、長野県伊那の俳諧師・井上井月の墓参のため東へ向かった。
広島から大阪まで船で行き、京都、名古屋を経て、4月20日、渥美半島の潮音寺にある芭蕉の弟子・杜国の墓に参り、伊良湖岬まで足を伸ばした。

四月二十日 曇――雨。

早々出発、伊良湖崎へ、――二里。
若葉のうつくしさ、雀のしたしさ。
街はづれの潮音寺境内に杜国の墓があつた、芭蕉翁らの句碑もあつた、なつかしかつた。

左が杜国の墓碑、右が芭蕉ほかの三吟句碑。
貞享4年4月(1687)、芭蕉44歳のとき「笈の小文」の途中、門弟越人を伴って、渥美に隠棲している愛弟子の杜国を訪ねた。
再会した師弟がその時詠んだのが三吟の句。野仁とは杜国の別号。

 麦はえて能隠家(よきかくれが)や畑村  はせを
 冬をさかりに椿咲く也        越人
 昼の空のみかむ犬のねがへりて    野仁


沿道は木立が多い、豌豆
(えんどう)の産地である、家はみな相当の大きさで防風林をめぐらしてゐる。
伊良湖明神はありがたかつた、閑静なのが何よりだ、御手洗は汲上井戸だがわるくなかつた、磯丸霊神社とあるのもうれしかつた、芭蕉句碑もあつた、例の句――鷹一つが刻んであつた。

芭蕉句碑「鷹ひとつ見付て嬉しいらこ崎」

岬の景観はすばらしい、句作どころぢやない、我れ人の小ささを痛感するだけだ!
なまめかしい女の群に出逢つたのは意外だつた、芭蕉翁は鷹を見つけてうれしがつたけれど、私は鳶に啼かれてさびしがる外なかつた。
季節により伊良湖から鳥羽へ海峡を越える鷹がみられるというが、筆者がおとずれた日は、ヒヨドリの渡りの時期だった。隼からの襲撃をかわすため、塊となって低空飛行するヒヨドリの姿に感動した。


易者さんですか、俳諧師ですよ!
――砲声爆音がたえない、風、波、――時勢を感じる、――非常時日本である。
今日は道すがら、生きてゐてよかつたとも思ひ、また、生き伸びる切なさをも考へた。
岬おこし、磯丸糖、――芭蕉飴などはいかが!
伊良湖から日出
(ひい)、堀切、小塩津、和地と歩いた、豌豆の外に花を作つている、金盞花が多かつた、養鶏も盛んである。
途中からバスに乗つて、赤羽根といふ漁村のM屋に地下足袋をぬいだ(昨夜の吉良屋老人に教へられた通りに)、予想したよりも、さびしい寒村であつた、宿も何だか変な宿だつたが、それでもアルコールのおかげで、ぐつたり寝た。
――たうとう雨になつた。
伊良湖の荒磯で貝を拾ひ若布を拾うたことは忘れられない。

伊良湖の荒磯。右手に見えるのは神島。

 穂麦まつすぐな道が伊良湖へ
 鳶啼くや花ぐもり明るうなる
 風が出て来てからたちの芽や花や
 道しるべやつと読める花がちるちる
 松のみどりの山のむかうの波音
 とんびしきりに鳴いて舞ふいらござき
 風は海から吹きぬける葱坊主
 芽吹いて白く花のよな一枝を
 岩鼻ひとり吹きとばされまいぞ
 吹きまくる風のなか咲いてむらさき
 潮騒の椿ぽとぽと
 波音の墓のひそかにも
 風のてふてふいつ消えた
 波音のたえずして一人(赤羽根の宿)
 花ぐもり砂ほこり立てていつてしまつた
 麦に穂が出るふるさとへいそぐ
 荒磯ちぎれ若布を噛みしめる
 風吹きつのる汽車はゆきちがふ
 若葉へ看板塗りかへてビールあります


潮音寺の山頭火句碑。句の選定と揮毫は、山頭火の親友・大山澄太。
あの雲がおとした雨にぬれている 波音の墓のひそかにも