山頭火と歩く

大宰府から飯塚へ 2001/3/19 *istD


 ■昭和6年12月27日 晴后雨、市街行乞、大宰府参拝、二日市、和多屋

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参道左手の巨大なクスの根まわり。

大宰府天満宮の印象としては樟の老樹くらいだろう。さんざん雨に濡れて参拝して帰宿した。

  右近の橘の実のしぐるるや
  大
も私も犬もしぐれつつ

山頭火は大宰府の印象をそっけない感じで書いている。境内には約50本のクスの古木があるといわれているがとにかくクスの木が目立つ。山頭火も同じような感想を持ったようだ。


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本殿右手の飛び梅は散っていたが、左手の紅梅は満開。

 ■昭和6年12月29日 曇、時雨、四里、二日市、和多屋

武蔵温泉に浸った、温泉はほんたうにいい、私はど
うでも温泉所在地に草庵を結びたい。

現在の二日市温泉は、当時は武蔵温泉と呼ばれてい
た。温泉が好きだった山頭火は、武蔵温泉の和多屋
に3泊して、周辺を行乞している。

二日市温線街を歩いてみたが、山頭火をしのべるも
のは何もなかった。山頭火とはまったく無関係だが
この温泉にやって来た人の歌碑がふたつ、句碑がひ
とつあった。

 湯の原に 鳴く葦鶴(あしたづ)は わがごとく
 妹に恋ふれや 時わかず鳴く

 (728−730年頃、大伴旅人)

 ゆのはらに あそぶあしたづ こととはむ
 なれこそしらめ ちよのいにしへ

 (1865−1867年頃、三条実美)

 温泉(ゆ)のまちや 舞(おど)ると見えて
 さんざめく
(1896年、夏目漱石)
                
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二日市温泉のすぐ西に、7世紀に建立された古刹
武蔵寺がある。武蔵温泉と呼ばれたのは、このお
寺の名に由来するのであろう。折りしも、手水鉢
に、椿の花が落ちていた。そして、境内にはなぜ
か「鶯のかさおとしたる椿哉」という芭蕉の句
碑があった。
         
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老舗旅館の大丸別荘。     武蔵温泉・博多湯の看板。  「御前湯」前の夏目漱石の句碑。

 ■昭和6年12月30日 晴れたり、曇ったり、徒歩七里、長尾駅前の後藤屋に泊る

早朝、地下足袋を穿いて急ぎ歩く、山家、内
野、長尾というやうな田舎街を行乞する。冷
水峠は長かった、久しぶりに山路を歩いたの
で身心がさっぱりした。

筑豊本線の筑前内野ー原田が開通したのは昭
和4年。昭和6年には開通していたが、山頭
火は冷水峠を歩いて越えた。

山家、内野、長尾のうち、昔の面影が残って
いるのは内野だけである。長尾駅は、今の上
穂波駅であろうが、山頭火が歩いた時代の建
造物はなかった。
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[左]大宰府天満宮への石碑のそばに立つ、江戸末期
の恵比寿。[右]内野宿の旧小倉屋  これらを山頭
火は目にしただろう。


 ■昭和6年12月31日 快晴、飯塚行乞、往復四里、宿は同前

昨夜は寒かったが今日は温かい、一寒一温、それが取りも直さず人生そのものだ。

行乞相も行乞果もあまりよくなかった、恥づべし々々々。

『年暮れぬ笠きて草鞋はきながら』まったくその通りだ、おだやかに沈みゆく太陽を見送りながら、合掌した、私の一生は終わったのだ、さうだ来年から新らしい人間として新しい生活を初めるのである。

  うしろ姿のしぐれてゆくか

うしろ姿の名句は、この日、飯塚を行乞していたときに生まれたと伝えられている。
 
 天道の大将陣山から忠隈のボタ山を望む。山頭火は、
 このボタ山を見ただろうか。