山頭火と歩く

日奈久

03.12.15
CAMEDIA E-100RS
   

 昭和5年9月10日 晴、二百廿日、行程三里、日奈久温泉織屋。

  午前中八代町行乞、午後は重い足をひずって日奈久へ、いつぞや宇土で同宿したお遍路さん
  夫婦とまたいっしょになった。                                                  

  方々の友へ久振りに―― ほんたうに久振りに―― 音信する、その中に――

  ……私は所詮、乞食坊主以外の何物でもないことを再発見して、また旅に出ました。歩ける
  だけ歩きます、行けるところまで行きます。温泉はよい。ほんたうによい。ここは山もよく
  海もよい。出来ることなら滞在したいのだが、いや一生動きたくないのだが(それほど私は
  疲れてゐるのだ)


「憩いの広場」の山頭火記念碑。


山頭火が宿泊した旅館で唯一現存する織屋。

 ■昭和5年10月11日  晴、滞在。

  午前中行乞、午後は休養、此宿は夫婦揃って好人物で、一泊四十銭では勿体ないほどである。

 ■昭和5年10月12日 晴、休養。

  
入浴、雑談、横臥、漫読、夜は同宿の若い人と共に活動見物、あんまりいろいろの事が考へさ
  せられるから

 ■昭和5年10月13日 曇、時雨、佐敷町川端屋。

  八時出発、二見まで歩く、一里ばかり、九時の汽車で佐敷へ、三時間行乞、やっと食べて泊ま
  るだけいただいた。此宿もよい、爺さん婆さん息子さんみんな親切だった。

日奈久を出て二見が近づくと右手に八代海が見えてくる。山頭火も二見までの約4キロの道を海を見ながら歩いたことだろう。汽車は、次の駅上田浦の先まで海岸をかすめるように走り、肥後田浦へ向かって海から離れる。山頭火は佐敷から東へ歩き、球磨川沿いを人吉へ向かった。
                              

八代海の夕暮れ(上田浦〜肥後二見)
今も昔も天草の島影は変わらない。

佐敷城址から見た佐敷の家並み。
佐敷川の対岸が人吉へぬける道。