山頭火と歩く

伊那谷へ

伊那路の山頭火

山頭火が伊那谷をたずねた目的は井上井月(せいげつ)の墓参である。昭和9年に伊那谷に足を
踏み入れたが、体調不良で墓参を果たせなかった。山頭火の井月への思いは並々ならぬもので
死の1年半前の昭和14年5月に再び伊那谷に入り、念願の墓参を果たしている。

3月31日に山口県湯田温泉の「風来居」を出て、5月3日に列車で天竜峡駅に降り、姑射橋
(こやきょう)から天竜峡を見た後、再び列車で伊那にむかい、午後には前田若水をたずね、
若水とともに井月の墓に参っている。

5月4日は伊那で過ごし、5日に伊那を出発し、権兵衛峠を越えて木曾谷に入り、その夜は奈
良井に泊っている。


井上井月とは
安政5年(1858)頃、井月はふらりと伊那にあらわれた。定住することを嫌い、俳諧に志の
ある人の家に2泊3泊、あるときは野宿をしながら伊那の各地を歩き、明治20年(1887)
に66歳で没するまで漂泊をつづけた。乞食井月と呼ばれた、約1700句を残し、その生き
方は山頭火に大きな影響を与えたといわれている。
芥川龍之介は、「井月の書は神業にも近い」と賞賛している。

  数ある井月の句の中から。

   旅人の我も数なり花ざかり   闇(くら)き夜も花の明りや西の旅
   菜の花に遠く見ゆるや山の雪  除け合うて二人ぬれけり露の道

 ■天竜峡 02.9.16

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山頭火が降り立った天竜峡駅。
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山頭火も見た姑射橋からの天竜峡の風景。

 ■井上井月の墓 02.9.17

   井上井月の墓石には、降るとまで人には見せて花曇りという句が刻まれていたそうだが、
   磨耗して今は読めない。
   ここをおとずれた山頭火は、墓前でいくつかの句を残している。

    お墓したしくお酒をそそぐ
    お墓撫でさすりつつはるばるまいりました
    駒ヶ根をまえにいつもひとりでしたね
    供へものとては野の木瓜の二枚三枚


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   実りの時をむかえた伊那市六道原。井月の墓は田んぼの中の杉の木のそばにある。
   墓石は丸い自然石。


 
■権兵衛峠 02.9.17

   山頭火が越えた権兵衛峠の旧道も残っているが、現在は伊那市から国道を車で越えられる。  
   山頭火とは逆に、奈良井から伊那へ権兵衛峠を越えてみた。権兵衛峠の標高は1522m。
   奈良井から奈良井ダムの先までは県道を行き、途中から国道361号線へ入る。峠まで約
   30分。峠は霧で、晴れていれば見える美しい山並みも見えなかった。

   権兵衛峠からは、つづら折りの坂道が続く。かなりの悪路を想像していたが、思っていた
   よりも快適な道路だった。峠から伊那の市街地まで約40分かかった。今、権兵衛トンネ
   ルの建設が進んでいて、これが完成すると、30分以内で権兵衛峠が越えられる。

   山頭火は、権兵衛峠を越えるのにかなり苦労したらしい。昭和14年5月6日の日記に次
   のように書いている。

    小澤川にそうて権兵衛峠へ、山桜が咲いてここに一本、そこに一本。
    山の家では、娘さんが手臼をまわして何か粉を挽いてゐた、珍しい風景だ。
    峠路がはっきりしなくなって不安でならなかったが、馬糞をあてに送電線をたどって登
    っていったら、幸にして本当に一軒家があった、そのおかみさんに道が間違ってゐない
    こと、頂上まで二十数丁であることをはっきり教えられ安心した。

     あの水この水天竜となる水音(伊那)
     寝ころべば信濃の空の深いかな

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峠の頂上の少し手前には広場がありトイレもあった。
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 権兵衛峠のレリーフ。