山頭火と歩く

終焉の地・松山

2001.9.16
CAMEDIA E-100RS


 山頭火が、松山市御幸寺境内の一草庵に入ったのは、昭和14年(1939)12月15日であった。昭和15
 年、山頭火にとって最後の新年を一草庵でむかえた。4月には、一代句集『草木塔』を発行。10月11日、
 脳溢血で亡くなった。59歳だった。

 一草庵

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     窓越しに見た一草庵の内部(内部は春秋2回のみ公開)    一草庵の裏庭。
     6畳と4畳半、台所と便所、水は汲みあげポンプ、燃料の薪は裏山から調達、風呂はないので道後へ。

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一草庵は御幸寺の一角にある。
一草庵には、三つの句碑がある。

  鉄鉢の中へも霰

  春風の鉢の子一つ

  濁れる水のなかれつつ澄む


最初の2句はよく知られているが、濁れる
・・・・の句は、死去する1か月前の句で、一
草庵の前を流れる樋又川にわが身を映した
ものである。

 護国神社

matu-gokoku.jpg (102867 バイト) 山頭火の日記に頻繁に出てくるのが護国神社。
よく散歩に出かけていたようだ。

神社の前の道を、向かって左方向へ、徒歩5分
くらいのところに一草庵がある。

 道後温泉

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   道後温泉本館。
   朝湯のよろしきもくもくとして順番を待つ

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道後温泉駅。


山頭火は道後温泉へよくでかけたようだ。昭和15年8
月14日の日記には、次のように書かれている。

午後は道後へ。一浴一杯。そしてまた一杯。それが
いけなかった。また一杯また一杯でさんざんだった。どろどろぼろぼろになってしまった。ああ、ああ。

人間のあさましさよ。そして私の弱さよ。私は倒れ
たまま空を見つめたまま自分を罵り、自己を鞭打つ
ばかりだった。

 長建寺

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山頭火の最期を見守った高橋一洵の句碑が、
長建寺境内にある。
母と行くこの細径のたんぽぽの花
松山に、山頭火を中心とした「柿の会」という
句会があった。昭和15年10月10日の夜、
一草庵で句会が開かれた。山頭火は床をとって
すでに寝ていた。夜11時に句会が終わったが
山頭火は起きてこなかった。

高橋一洵はいったん自宅に帰ったが、気になっ
て深夜2時すぎに行ってみると、山頭火の体は
硬直していた。御幸寺の住職を起こして、一洵
は医者へ行って往診を頼み駆け戻ってきたが、
山頭火の息はすでになかった。

山頭火の遺骨は、ふるさと防府の護国寺裏の共
同墓地にほうむられた。

  おちついて死ねさうな草萌ゆる