山頭火と歩く

美々津


■昭和5年10月27日 晴。

いいお天気である。午前中は都濃村行乞。それからぽつぽつ歩いて二時間過ぎ美々津町行乞。或る家で法事の餅をよばれる。もっと行乞しなければ都合が悪いのだが、嫌になったので、丁度出くわした鮮人の飴売さんに教へられて此宿に泊る。

 日南から、志布志、都城を経由して北上して来た山頭火は、石並川のほとりに近い旅館「池部屋」に宿泊した。
  美々津には山頭火が師事した荻原井泉水と親しい宮崎市の杉田作郎の門下で句集「波おと」などを残した黒木
  紅足馬(本名末四郎)がいた。


 翌28日はしぐれの中美々津を発っている。28日の日記には10句記されている。
 その中から筆者の好きな句を3句。

     墓がならんでそこまで波がおしよせて

     いさり火ちらちらして旅はやるせない

     しぐるるやみんな濡れてゐる

筆者が美々津をたずねるのは5年ぶりだったが、神武東遷の船出伝説が残る石並海岸には、トイレと駐車場が設け
られ、山頭火の句碑も建てられていた。山頭火がおとずれた当時、波に洗われそうな海岸に沿って墓地があった。
「墓がならんで〜」の句は、その様子を詠んだものである。






石並海岸からは昭和9年建造の美々津灯台が見える。山頭火がおとずれた4年後に
建造されたので、山頭火はこの灯台を見ていないが、今灯台が建っているこの島影
をぼんやりと見たことだろう。