山頭火と歩く

美祢

2013/6/23 EOS 5D

山頭火が美祢へやって来たのは、昭和8年8月29日。
伊佐から麦川に入ったのが30日、平原(ひらばる)の豊田屋に宿泊した。
翌31日、桃の木を経て、西市に出た。おそらく、
肥中街道をたどったものと思われる。
 
八月三十日

寝すごした、それほどよく眠れたのである。

朝のうちは伊佐行乞、それから麦川へ、途中あまりだるいから村の鎮守の宮で昼寝、涼しい社殿だつたが、村の悪童共の集合所でもあつたので騒々しかつた、それでも二時間ぐらゐは寝たらう。
 
麦川小学校前の県道わきに句碑がある。
炭車が空を山のみどりからみどりへ


日記には記されていない句であるが、このあたりで詠んだものであろうとされている。

かつて、美祢市大嶺町麦川には山陽無煙鉱業所という炭鉱があった。その斜坑の入口が残されている。




麦川には菅原社という神社があるが、山頭火はここで昼寝をしたのだろうか。

おひるは報謝のお菓子二きれですます。

二時から四時まで麦川行乞、西市へ越すつもりで山路にかゝつたが、平原といふところで宿を見つけたので泊つた、豊田屋、悪い宿ではなかつた。


豊田屋があった場所に日記にも記されている句碑がある。よい宿でどちらも山でまへは酒屋で

句碑の前にあるのが大嶺酒造。50年くらい酒造りを休止していたが、2010年に復活した。


平原の「山頭火の道」。
むこうが美祢方面で、集落の三叉路近くに句碑がある。句にもあるように両側が山。

同宿の若い坑夫さんと山の観音様へ詣でた、一年一度のおせつたいがあるといふので、近村のおぢいさんおばあさんが孫を連れておほぜい詰めかけてゐた、山村風景のおもしろい一枚である。

夕飯は、さしみと豆腐汁と煮豆と茄子漬、なかなかの御馳走だつた、ことに前は造酒屋だから、飲みすごしたのも無理はなからう!

うらは山で墓が見えるかなかな
かなかなゆふ飯がおそい山の宿
よい宿でどちらも山でまへは酒屋で
宵月がみんなの顔にはだかばかりで
 
行程二里、所得は銭六十二銭、米一升九合。

八月三十一日

早起して散歩した、同室者の人間臭にたへなかつたからである、人間の姿よりも山の姿がよろしい。

踏みだした一歩がもう山路である、石ころを踏みしめてすゝむ、桃の木といふ部落には特殊な色彩と音響とがあつた、こゝが大嶺無煙炭山である、ここで採掘した炭塊を索道で麦川へ送るのである。

<以下省略>

桃の木には桃の木炭鉱があった。麦川まで索道(ロープウェイ)があったと書かれているが、今はその痕跡はない。唯一、奥畑坑の入口が残されている。入口はコンクリートでふさがれているが。