山頭火と歩く

宗像

2001.2.25
CAMEDIA E-100RS


 ■昭和7年1月6日 晴、行程三里、神湊、隣船寺。

赤間町一時間、東郷町一時間
行乞、それから水にそうて宗
像神社に参拝、こんなところ
に官幣大社があることを知ら
ない人が多い。

神木楢、石碑無量寿仏、木彫
石彫の狛犬はよかった。

水といっしょに歩いてゐさへ
すれば、おのづから神湊へ出
た。俊和尚を訪ねる、不在、
奥さんもお留守、それでもあ
がりこんで女中さん相手に話
してゐるうちに奥さんだけ帰
って来られた、遠慮なく泊る。

宗像大社の記述があるのに、
九州観音霊場第31番鎮国寺
の記述がない。この頃、観音
霊場へよく立ち寄っていたの
だが、鎮国寺へは参拝しなか
ったのだろうか。

石碑無量寿仏、木彫石彫の狛
犬は、社殿左手奥の神宝館の
1階にある。神宝館の目玉は
沖ノ島の遺物である。

宗像大社から神湊にむかって
釣川が流れている。「水とい
っしょに」の「水」とは釣川
のことであろう。

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桃山様式の宗像大社本殿。


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鎮国寺「不動水」横の椿の根元。釣川河口付近。

 ■昭和7年1月7日 時雨、休養、潜竜窟に蛇が泊まったのだ。

雨は降るし、足は痛いし、(どうも
脚気らしい)勧められるままに休養
する、遊んでゐて食べさせていただ
いて、しかも酒まで飲んでは、ほん
たうに勿体ないことだ。

松の寺のしぐれとなって泊ります
遠く近く波音のしぐれてくる

山頭火が泊った臨済宗隣船禅寺は玄
海界町神湊にある。この寺の境内に
は、山頭火が生前に建てられた唯一
の句碑がある。句は、熊本県植木町
味取観音での作「松はみな枝垂れて
南無観世音」である。

この寺には、樹齢400年の潜龍松
があったが1975年に枯れ果た。
山頭火が泊った頃にはこの松は健在
だったことから、「潜龍窟に蛇が泊
った」と自分のことを蛇と言ってい
るのであろう。

寺の前にある魚屋(うおや)は今は割
烹旅館であるが、伊能忠敬も宿泊し
たと伝えられている。山頭火もこの
店にお酒を飲みに来たかもしれない。
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山頭火もくぐった隣船寺山門。

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伊能忠敬宿泊跡の石碑が立つ
「魚屋」。
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隣船寺境内の山頭火句碑。
     

 ■昭和7年1月8日 雪、行程六里、芦屋町

ぢっとしてゐられなくて、俊和尚帰山まで行乞するつもり
で出かける、さすがにここあたりの松原はうつくしい、最
も日本的な風景だ。今日はだいぶ寒かった、一昨六日が小
寒の入、寒くなければ嘘だが、雪と波しぶきとをまともに
うけて歩くのは、行脚らしすぎる。

 木の葉に笠に音たてて霰
 鉄鉢の中へも霰


この日、山頭火は神湊から海岸線を歩いて芦屋へ行乞に向
かった。「このあたりの松原」と言っているのは「さつき
松原」のことである。

「さつき松原」の先は、郡界から波津までは海岸沿いを歩
いた。「雪と波しぶきをまともにうけて歩く」と書いてい
るが、冬にここを訪ねると今でもこの記述の通りである。

名句「鉄鉢の中へも霰」が生まれたのは、波津の先にある
「三里松原」で、今も3kmくらいの松林が残っている。

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玄界灘の荒波が打ち寄せる郡界・波津間の海岸線。
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1602年黒田長政が植林をはじめたとい
う黒松の防風林が5kmにわたって残って
いる。


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波津港から見る三里松原。背後は帆柱山系。