山頭火と歩く

中津

2001.10.19
CAMEDIA E-100RS

山頭火が初めて中津の句友をたずねたのは、昭和4年11月17である。阿蘇、耶馬渓などを経て『層雲』の同人・松垣昧々宅に宿泊した。翌日、木村宇平宅で句会が行われた。そして、翌々日、「また逢うまでのさざんかの花」という名句を残して再び旅立って行った。

山頭火は、昭和5年、10年、13年にも中津をおとずれたが、昭和5年11月16日のことは行乞記に書かれている。山頭火は、前日の15日に玖珠町を発ち、深耶馬溪を通って、柿坂から耶馬溪線に乗って中津へむかった。当時、耶馬溪線は蒸気機関車であった。16日は、市内の料亭筑紫亭で句会があり、フグチリで酒をたらふく飲んで、翌17日はほろ酔い状態で山国川を渡った。

山頭火の句碑は中津市内に2か所ある。鷹匠町の東林寺に、「阿なたを待つとてまんまるい月の」、内枝町の筑紫亭に、「これが河豚かと食べてゐる」「河豚鍋食べつくして別れた」。


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  中津市歴史民俗資料館にある大
  正6年の中津駅時刻表。耶馬溪
  線は7往復。

 土蔵そのそばの柚の実も(福沢先生旧居)

nakatu-fukuzawa-kyuukyo.jpg (22880 バイト) 山頭火が福沢諭吉旧居で作った句は2句。

もう1句は、すゝき一株植ゑてある

 これが河豚かと食べてゐる(筑紫亭句会)

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明治32年創業、はも料理の筑紫亭。
       
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筑紫亭内の句碑。
フグの句が2句。
山頭火は筑紫亭でフグをたべて、2句残している。

もう1句は、

河豚鍋
 食べつくして

 酔うて急いで山国川を渡る

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昭和9年建造の山国橋。
橋桁は当時のままの美しい煉瓦造り。
大分と福岡の県境を流れる山国川には、河口付近に2本の橋が架っている。

日豊本線の鉄橋をはさんで河口側に山国橋、上流側に山国大橋。山頭火は、山国橋を渡ったのではないかと思う。

現在の山国橋は昭和9年の建造、山頭火がほろ酔いで渡った昭和5年にはなかった。おそらく、木の橋が架っていたのではないだろうか。

山国橋は美しい橋である。橋脚の赤い煉瓦の色が、山国川の水面に映る姿はとても美しい。

 阿なたを待つとてまんまるい月の

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東林寺の「阿なたを」の句碑。
    
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築約70年、
木造3階建ての銭湯汐湯
山頭火は、中津城址近くの中津川に面した汐湯に来たことがあるという話が伝わっている。

編み笠姿で、ぼろぼろの法衣を着た姿に驚いて、銭湯のあるじは警察へ通報したという。

警察や銭湯のあるじの誤解が解て、山頭火が汐湯につかって旅の疲れをいやした。そうであってほしいと思う。