山頭火が初めて中津の句友をたずねたのは、昭和4年11月17である。阿蘇、耶馬渓などを経て『層雲』の同人・松垣昧々宅に宿泊した。翌日、木村宇平宅で句会が行われた。そして、翌々日、「また逢うまでのさざんかの花」という名句を残して再び旅立って行った。
山頭火は、昭和5年、10年、13年にも中津をおとずれたが、昭和5年11月16日のことは行乞記に書かれている。山頭火は、前日の15日に玖珠町を発ち、深耶馬溪を通って、柿坂から耶馬溪線に乗って中津へむかった。当時、耶馬溪線は蒸気機関車であった。16日は、市内の料亭筑紫亭で句会があり、フグチリで酒をたらふく飲んで、翌17日はほろ酔い状態で山国川を渡った。
山頭火の句碑は中津市内に2か所ある。鷹匠町の東林寺に、「阿なたを待つとてまんまるい月の」、内枝町の筑紫亭に、「これが河豚かと食べてゐる」「河豚鍋食べつくして別れた」。
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中津市歴史民俗資料館にある大正6年の中津駅時刻表。耶馬溪線は7往復。 |