山頭火と歩く

佐賀

2001.7.2
CAMEDIA E-100RS


 ■昭和7年1月28日 朝焼、そして朝月がある、霜がまっしろだ。

一里歩いて多久、一時間ばかり行乞、さらに一里歩いて北方、また一時間ばかり行乞、そして錦江へいそぐ。今日解秋和尚に初相見を約束した日である。

行程五里、九十四間の自然石段に一喝され、古びた仁王像(千数百年前の作ださうな)に二喝された。そして和尚のあたたかい歓待にすっかり抱きこまれた。一見旧知の如し、他は推して知るべしである。


飯盛山福泉寺(解秋和尚主宰、鍋島家旧別邸)山をそのままの庭、茅葺の本堂書院庫裏、かすかな水の音、梅の一二本、海まで見える。猫もゐる。犬もゐる鶏も飼ってある、お嬢さん二人、もろもろの声、すこし筧の匂ひする山の水の冷たさ、しんしんとしみいる山の冷え、

  山暮れて山の声をきく

とにかくありがたい一夜だった。


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福泉寺への山道の入り口にある泉溜池。
池のむこうに田んぼ、民家、そして有明
海が見える。

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  山頭火が九十四間の自然石段と言った石段
  を登ると、仁王門が見えてくる。
  紫陽花が満開だった。

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 福泉寺の境内。左手が本堂、正面が庫裏。
 山頭火は茅葺きと日記に書いているが、屋
 根の形を見ると、かっては茅葺きであった
 ことが推測できる。


山頭火がどういうルートで福泉寺へ行ったのかはっきりしないが、現在の北方町から有明町へ入り、
泉溜池に沿った道を登って行ったのではないだろうか。

ここ福泉寺は和泉式部が生まれ育ったところと言われていて、塩田町には和泉式部を記念した公園が
ある。山頭火は、日記の中に、和尚さんから和泉式部に関する掛け軸を見せてもらったと書いている。

 ■昭和7年1月30日 晴、暖、武雄。

けふいちにちはなまけるつもりだったが、おも
いかえして、午後二時間ばかり行乞。

よき食欲とよき睡眠、そしてよき性欲とよき浪
費、それより外に何もない!

とにかくルンペンのひとり旅はさみしいね。

前日、福泉寺を発って、10数キロを歩いて武
雄温泉に到着し、ここで2泊している。

温泉街の北には大正3年(1914)建造の楼門
があって、この奥に公衆浴場がある。山頭火は
銭湯に入ったと書いているので、ここの公衆浴
場に入ったにちがいない。
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 ■昭和7年1月31日 曇、歩行四里、嬉野温泉。

宿は新湯の傍、なかなかよい、よいだけ客が多いのでう
るさい。飲んだ。たらふく飲んだ。酒造屋が二軒ある、
どちらの酒もよろしい、酒銘「一人娘」「虎の子」。

嬉野はうれしいの(神功宮皇后のお言葉)

休みすぎた、だらけた、一句も生まれない。ぐっすり寝
た、アルコール入浴のおかげで、しかしもっと、もっと
しっかりしなければならない。

山頭火は嬉野温泉が気に入ったようであるが、1泊した
だけで出て行った。山頭火が宿泊したのは新湯。

新湯に対して古湯がある。古湯温泉には大正12年(1
923)建造の美しい外観の公衆浴場があるが、内部の
老朽化により今は使われていない。

山頭火もこの建物を見ただろう。建造から80年近くに
なるが、補修工事を行って、公衆浴場として大切に使い
つづけてほしいと思う。
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