文学を歩く

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明治15年(1882)防府に生まれ、昭和15年(1940)松山で57歳で亡くなった俳人種田山頭火は、「ほんとうの自分の句を作りあげること」、「あれこれと厄介をかけないで、ころりと死ぬこと」が願望だった。その生活は無一物の乞食であり、いつも死を考えながら、死を押さえ込むための活力として、放浪し、俳句を作った。どうしょうもなく惨めで凄まじい生き様から生まれた俳句は何とも自由で、やさしくて、さびしくて、かなしい。

山頭火が放浪してから70年くらい経っているが、20世紀最後の年・2000年の今年山頭火が歩いた道をたどり、山頭火が見たであろう風景を見てみたい。そんな気持ちから山頭火を探す旅に出た。
(2000年6月記)

 
歩かない日はさみしい
 飲まない日はさみしい
 作らない日はさみしい
 ひとりでゐることはさみしいけれど、
 ひとりであるき、ひとりで飲み、ひとりで作ってゐることはさみしくない。

 生誕の地・防府

 明治15年(1882)−大正5年(1916)

生家跡、山頭火の小径、種田酒造跡、護国寺
 漂泊のはじまり  大正14年(1925)−大正15年(1926) 味取観音堂
 小豆島  昭和3年(1928) 南郷庵、西光寺
 霊山寺  昭和4年(1929) 霊山寺
 国東半島  昭和4年(1929) 阿弥陀寺、安国寺
 日奈久  昭和5年(1930) 日奈久温泉、肥後二見、佐敷
 日南海岸  昭和5年(1930) 青島、内海、油津、目井津
 志布志  昭和5年(1930) 志布志駅、ダグリ岬
 美々津  昭和5年(1930) 美々津
 湯ノ原  昭和5年(1930) 長湯温泉
 由布院  昭和5年(1930) 湯平温泉、由布院
 玖珠から耶馬溪へ  昭和5年(1930) 玖珠、深耶馬溪
 中津  昭和5年(1930) 中津
 関門海峡  昭和5年(1930) 下関、門司
 筑後  昭和5年(1930) 筑後工藝館、社日神社、藤島橋、二本松橋
 大宰府から飯塚へ  昭和6年(1931) 大宰府、二日市、内野、飯塚
 宗像  昭和7年(1932) 宗像大社、神湊、波津
 唐津へ  昭和7年(1932) 福岡佐賀県境、虹の松原
 佐賀  昭和7年(1932) 福泉寺、武雄温泉、嬉野温泉
 長崎  昭和7年(1932) 長崎市、野母崎、口之津
 川棚温泉  昭和7年(1932) 山頭園、妙青寺、クスの森
 筑豊  昭和8年(1933) 香春、糸田
 山口市仁保  昭和8年(1933) 犬鳴の滝
 美祢  昭和8年(1933) 麦川、平原
 小郡  昭和9年(1934) 其中庵、小郡駅前
 山口市後河原  昭和9年(1934) 一の坂川
 到津遊園  昭和9年(1934) 到津遊園
 永平寺にて  昭和11年(1936) 永平寺
 湯田温泉  昭和13年(1938) 湯田温泉
 渥美半島  昭和14年(1939) 潮音寺、伊良湖岬
 伊那谷へ  昭和14年(1939) 天竜峡、井上井月の墓、権兵衛峠
 木曽福島  昭和14年(1939) 興禅寺
 四国遍路  昭和14年(1939) 佐喜浜、室戸岬、大宝寺、三坂峠
 終焉の地・松山  昭和14年(1939)−昭和15年(1940) 一草庵、護国神社、道後温泉、長建寺
   山頭火句碑  


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