山頭火と歩く

筑豊

 ■烏尾峠 2015/7/18 K-7
  烏尾峠は飯塚市と糸田町の境界にある。山頭火も烏尾峠を越えた。国道201号線の烏尾峠
  頂上から500mほど飯塚側へ下ったところに旧烏尾峠への入口がある。


旧烏尾峠への入口。国境石という標識がある。


入口から10分強で、峠の地蔵堂に着く


峠には山頭火句碑。
迷うた道でそのまま泊る


小高い所には2mを超える大きな国境石。
従是西筑前国


 ■香春岳


   香春岳は旅人の心をひきつける。途中木屋瀬を行乞する。五時前にはもう葉ざくらの緑平
   宅に着いた。月がボタ山のあなたからのぼった。二人でしんみりと話しつヾける。葉ざく
   らがそよいでくれる。
(行乞記・昭和8年6月7日より)


東南から見た1974年10月15日の香春岳。
9600型蒸気機関車の後方に見える一ノ岳は現在よりかなり高かった。

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南から見た
2000年7月8日の
一ノ岳。後方は二ノ岳。


神宮院の句碑。そこもここも岩の上には仏さま

   香春岳は、一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳から成る。一ノ岳の石灰石の採掘が始まったのは、昭
   和10年。山頭火が糸田の木村緑平宅へ通い始めた頃は、まだ採掘されていなかったが、
   小郡時代や湯田温泉時代にも糸田へ行っているので、この頃にはすでに採掘が始まってい
   た。したがって、山頭火は、採掘前と採掘が始まった頃の香春岳の両方を見ているに違い
   ない。当時標高491mだった一ノ岳は、2000年現在約280m。

 ■糸田

  名残惜しい別れ、緑平老よ、あんたのあたヽかさはやがてわたしのあたヽかさとなってゐ
  る。晴れて曇り、行程六里、心身不調、疲労困憊、やうやくにして行橋の糀屋といふ木賃
  宿に泊まったが、こヽもよい宿だった。アルコールの力を借りて、ぐっすり睡ることがで
  きた。そのアルコールは緑平老のなさけ。(行乞記・昭和8年6月8日より)

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俳人木村緑平旧居跡。
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緑平旧居跡付近の句碑。
逢うて別れてさくらのつぼみ
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山頭火を顕彰して造られた皆添橋のプレート。
逢ひたい捨灰山(ボタ山)が見えだした

  「層雲」の同人・木村緑平は、雀の句を得意とし、明治豊国鉱業所病院に勤務する医師。
  昭和2年から10年間ほど、糸田の職員住宅に住み、山頭火を物心両面から支えた。山頭
  火は、緑平宅を15回にわたってたずね、緑平と山頭火は、酒を酌み交わしながら語り明
  かしたという。

  ボタ山も今はなく当時を偲ぶものは少ないが、山頭火が散策した鉱長坂の地形などは当時
  と変わっていないだろうし、糸田に建つ句碑が山頭火の存在をわずかに感じさせてくれる。

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山頭火が散策した鉱長坂の
句碑。
       山頭火
 ボタ山ならんでゐる陽がぬくい
 ふるかえるボタ山ボタン雪ふりしきる
 枝をさしのべてゐる冬木

       緑平
 子雀のあまえてゐる声のしてゐる朝月
 かくれん坊の雀の尻が草から出てゐる
 雨ふる子のそばに親の雀がきてゐる


伯林寺の句碑。緑平の雀生まれてゐる花の下を掃く、山頭火の「逢いたいボタ山」の句。写真を撮っている時に5時のチャイムが鳴った。
糸田出身の井上陽水作曲の「夢の中へ」だった。


糸田小学校前の緑平と山頭火の歌碑。
こちら側は緑平「かくれん坊の雀}の句、
むこう側に山頭火「ふりかえるボタ山」の句。
2015/7/18 K-7

 ■英彦山 2015/7/4 PENTAX K-7

    昭和4年11月、山頭火は英彦山に登った。
    萩原井泉水宛ての書簡には、「けさ早くからお山めぐりをしました。鬼神社、梵字ケ岩、材木岩、
    そして本社に参拝しました。」
と書いてある。
    そのときに詠んだ句の説明板と木製の簡素な句碑が英彦山青年の家前の旧道そばにある。

    
     すべってころんで 山がひっそり 2015/7/4 PENTAX K-7

    

    英彦山野営場管理棟の入口にある石造りの句碑。 2015/8/21 FinePix X100

  
    
英彦山で山頭火が泊まったという松養坊跡。2017/11/4 LUMIX G1

 ■旧仲哀隧道


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煉瓦造りの旧仲哀隧道(行橋側入口)        旧道の呉川眼鏡橋

   上記の行乞記にあるように、山頭火は、6里、約24kmを歩いて行橋に辿りついた。当
      時、香春から行橋へ出るには、旧仲哀隧道を越えなければならなかった。山頭火は、旧道
      の呉川眼鏡橋を渡り、ぐねぐね曲った坂道を登って隧道を越えた。このときに、
登りつめ
   てトンネルの風(仲哀洞道)
という句を詠んだ。

   旧仲哀隧道と呉川眼鏡橋は、国の登録文化財に指定されている。旧仲哀隧道は、かなり荒
   れいて内部の崩落があるため通行禁止。呉川眼鏡橋は万葉集ゆかりの地で、橋のたもとに
   は歌が書かれた案内板が建っている。

 ●山頭火遊歩道 香春町金辺川沿いに設けられた句碑のある遊歩道 、
                   国道201号線と県道418号線の交差点付近にある。
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あるけばきんぽうげ すわればきんぽうげ


ふりかえれば香春があった


鳴きかわしては寄りそう家鴨


香春をまともに乞ひ歩く


すくいあげられて小魚かゞやく


香春見上げては虱とつてゐる


みすぼらしい影をおもふに木の葉ふる


谺谺するほがらか


香春晴れざまへと鳥がとぶ


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