司馬遼太郎の風景
2005

秋田県散歩

象潟・蚶満寺、秋田市旧奈良家、寒風山・八郎潟、能代・風の松原
05.10.20-21 *istD/16-45

どこへゆくべきかと地図をひろげてみたが、なかなか心が決まらない。
ただ、気になる土地がある。庄内である。
都市の名でいえば、鶴岡市と酒田市になる。旧藩でいえば庄内藩(酒井家十七万石)の領域である。
ここは、他の山形県とも東北一般とも、気風や文化を異にしている。

秋田県散歩というタイトルがついているが、当初の目的地は庄内だったようである。司馬さんが旅したのは梅雨時、大坂空港から秋
田空港へ、象潟の蚶満寺、八郎潟、能代市から東へ、大館市の毛馬内などをまわっている。筆者の場合は、能代までで秋田県散歩を
終え、五能線の撮影のためにさらに北上した。

「秋田県散歩」では出発前の大坂空港でのくだりが印象的だった。この文章から推察すると、秋田県散歩は1986年であろう。


早めに大坂空港についたので、軽食堂に入った。
「もう十六年になります」
須田画伯がコーヒーを注文したあと、遠い目つきをして言った。なんのはなしかと思って問いなおすと、この『街道を行く』が
はじまってからそれだけの歳月が経ったという。
「そんなになりますか」
「なります。はじまったのは、万博の年(昭和四十五年)でしたから」
コーヒーが来た。
「寒いころでしたよ」
須田さんが言った。

そういえば最初は近江へ行った。琵琶湖の北西岸の今津の町並を歩いていて、ふと町並の裏に出ると、ぽっかりと湖がひろがっ
ていたのに驚いた記憶がある。渚で中年の主婦が白菜を洗っていた。それがいかにも冷たそうだったから、冬がはじまろうとし
ていたころだろう。
となると、あの主婦も、あれから十六年としをとってしまったことになる。
   
象潟・蚶満寺
蚶満寺の山門への参道は、人影がなく古寂びている。風の日など、路傍にた
たずんで松籟(しょうらい)を聴いていれば、能因から西行、梵燈、さらに芭
蕉にいたるまでの心が偲べるかと思えるほどである。

境内の一隅の、やや湿気のなる場所に、途方もなく大きな樹がそびえている。
「樟(楠)だろうか」
幹の肌が、樟に似ているのである。
「いや、タブの木だ。クスノキに似ているから犬楠ともいうんだ」


   
秋田市旧奈良家

   

奈良家への道の途中、用水池がある。道はそれをめぐって、やがて田園にぽっつり建った県立博物館に出る。ついで、奈良家がある。おそらく博物館が管理しているのだろう。

その保存のよさに、頭がさがってしまう。なにしろ建てられたのは、宝暦年間(1751-1764)というむかしなのである。


男潟という池をめぐってゆくアプローチが素晴らしい。まわりに高い建物がないため空が広く、その広い空を池に映している。いつまでも心に残る美しい風景だった。






 
   
●寒風山・八郎潟
標高354.7メートルといった小さな山にすぎない
が、平地に立ちはだかって、元気よく空を画している。
寒げでもある。木という衣装をまとっておらず、日本
海の荒風をうけてふるえている。

この山の大いなる長所は、東方をむいたときに感ずる。
八郎潟の美田が、眼下に見おろせるのである。



寒風山。

寒風山頂から見た八郎潟。
   
   
能代・風の松原
能代へゆき、海岸の松原を見た。これも雄大な海岸森林だった。森の中に二車線の道路が通っているほどで、森の厚味は、道路の両側とも、むこうが透けてみえるというようなものではない。

司馬さんがたずねた能代の松原が「風の松原」だという確証はない。しかし、能代の松原といえば「風の松原」である。