司馬遼太郎の風景
2007

明石海峡と淡路みち

魚ノ棚、明石海峡、絵島・大和島、石屋神社、洲本城跡、淡路国分寺
慶野松原、
伊弉諾神宮 07.12.6-7 *istDS2

 私は、海峡がせばまってくろぐろとした海流が滝つ瀬のように流れていると、胸がおどってしまう。
 どうも海峡がよほど好きであるらしい。海峡という文字をながめているだけでも気持がさざなみだってしまう。
 (中略)日本の島々のなかの海峡では、壇ノ浦と明石海峡が好きである。


司馬さんが明石から淡路島を旅したのは、1974年11月12日、13日である。 12日は明石をたずね、徒歩者専用の播淡汽船で、明石海峡大橋がまだ架かっていない明石海峡を渡り、岩屋神社などをたずね 、その日は洲本に宿泊した。翌日13日は、洲本城跡から西海岸へ出て、西海岸を北上したようである。筆者は、「万葉の旅」の取材を兼ねていたので、岩屋から万葉の故地がある西海岸を先にたずね、東海岸の洲本城跡へ 、という道順を選んだ。

●魚ノ棚
国道からすこし小路に入ると、「魚ノ棚商店街」という古ぼけた大看板がかかっていた。規模は道路の両側一筋のほんの小さな魚棚の町で、なるほどどの店も道路に棚やカゴを突き出して、雑多な魚介類を盛りあげている。



司馬さんがおとずれたのは30年以上前、今は屋根が付いたきれいな商店街であるが、当時は屋根がなく露天だったようだ。筆者がたずねたのは平日の午前9時半頃だったが、シャッターがしまったままの店がかなりあった。

 

●明石海峡
播淡汽船の乗り場へゆくと、田舎の停車場のような木造ペンキ塗りの建物があり、そこに柵がほどこされていて、柵内でみな順番を待っている。船は三十分おきに出るのだという。
行列は淡路に住んで播州学校に通っているといった高校生が多く、あとは勤め人、それに、工事関係者である。
今は播淡汽船というのはない。淡路島との間に通称たこフェリーというフェリーがある。普通車が2050円、明石海峡大橋の通行料とほぼ同じである。フェリーを保護するために、かなり高い通行料が設定されていて、ETC割引が効かない。

私は神戸の一ノ谷の上から西海の落日を見るのが好きで、見るたびにこの光景から中世のひとびとが西方浄土を想像したことがわかるような気がするのだが、いま明石海峡の波の上からそれを見ると、波の黒ずみの上にひろがる茜色というのは、一ノ谷などより一層あでやかであることがわかった。

フェリーから明石海峡大橋を見る。一ノ谷がある鉢伏山が見える。

淡路島松帆の浦から明石海峡フェリー(たこフェリー)を見る。

絵島・大和島 
道路の下は海だが、その道路ちかくに、小島が二つある。二階建ての家程度の岩礁で、絵島、大和島というのが、それであるらしい。
説明板には、「二千万年前の砂岩層が露出した岩」と書かれている。
西行が
千鳥なく絵島の浦にすむ月を波にうつして見るこよいかなと詠んだのは、この絵島だろうか。

夜明け前、ライトアップの灯りを受ける絵島。

左手から絵島を見る。

朝日を受けて赤っぽい地肌を見せる大和島。

大和島から北を見る。正面に明石海峡大橋、左手に絵島。

石屋いわや神社
道路の右側に大きな瓦ぶきの長屋門をかまえ海に臨んでいる石屋神社の石段をのぼった。
この神社は『延喜式』だから由来が古いが、古すぎて、むかしから祭神がわからない。社殿の前の海ぎわの絵島を祭ったともいう。



鳥居、長屋門、門の先に本殿が見える。








 
 
 石屋神社の前は海、岩屋海水浴場。

洲本城跡 
樹林の中にある石塁は江戸期のような急傾斜ではなく、ゆるやかに直線に勾配しているのは、古色を感じさせる。
頂上の天守台にのぼると、小さな天守閣が立っている。昭和四年につくられたもので、べつに脇坂時代のものを復元したわけではないが、しかしこの旧洲本城を遠望するとき、この天守閣はこの山容の力点になっていて、決してわるくはない。
このように復元されたものをあまり好まない司馬さんであるが、この天守閣は「わるくはない」と言っている。筆者にはおもちゃのように見えた。

淡路国分寺跡
創建のころはどこの国分寺でもまわりに土手がめぐらされていたというが、ここもその土手の痕跡があるようであり、いまは土手のあとの上の松などが巨木になっていて、森をなしているといった格好である。
ふつう南大門などもそびえていたというが、淡路の場合はわからない。せまい境内に入ると、右手に礎石がのこっている。礎石に近づくと、塔の跡のようだった。

慶野松原
慶野松原についた。
地図をみるとこの松原は海岸線を北へ数キロつづいているように思えるが、その南端についた。松原は、まばらだった。林の中をくぐりぬけて砂浜に出ると、海風が強く吹いている。

飼飯けひの海の 庭よくあらし 刈薦かりこも
乱れて出づ見ゆ 海人あまの釣船

巻3−256

という柿本人麻呂の歌がある。飼飯は現在の慶野とされているが、定かではない。






 

伊弉諾いざなぎ神宮
伊弉諾神宮の玉砂利の空間は圧倒的な巨樹にとりかこまれている。とくに樟のむれがいい。どの樹も老いさびてはいるが、樹勢は燃えたつようにさかんで、つややかな皮革質の葉が風のなかで無数にきらめいている。
伊弉諾神宮は伊弉諾命いざなぎのみこと、伊弉冉命いざなみのみことの二神をまつる国生み神話の故地とされている。




 
 
 夫婦クス。兵庫県指定、樹齢約900年。