司馬遼太郎の風景
2005

播州揖保川・室津みち

伊和神社、山崎城跡、龍野、室津
05.11.12 *istD/16-45 DSC-F828

司馬さんが揖保川沿いの道を旅したのは、1976年3月22日、23日である。お住まいの大坂からも近く、肩の張らない気楽な旅だったようである。わたしは、伊和神社から北へ行った山田という集落の棚田を見に行った際に、神社の目の前にある道の駅にお世話になった。龍野は、映画「男はつらいよ第17作」のロケ地探訪でたずねたことがあり、比較的なじみのある土地であるが、最近、合併で「たつの」とひらがなに市名がかわった。今回、港町の室津へ誘ってくれたのは、「街道をゆく」という本のおかげである。

伊和神社



 
森の中に入ると、寺院の山門に似た小さな楼門があって、楼門のなかの左右に随身の木彫がすわっている。

社殿は、独立の構造物が三棟あり、小さな廊下で結ばれている。前面が拝殿で、ついで幣殿、最後に小さな本殿があり、本殿の建物は一見楼堂ふうのもので、木組そのものが複雑な積木細工のように装飾的に組み合わせられ、いかにも江戸末期の建物らしい凝った匠気がにおっている。

本殿のうしろのほうへゆくと、柵にかこまれて「鶴石」という名称の磐が露出している。



欽明天皇甲申歳(西暦564年)、伊和恒郷(いわのつねさと)という人に「われを祀れ」との御神託があり、一夜のうちに杉・桧等が群生して多くの鶴が舞い降り、大きな白鶴が2羽石の上に北向きに眠っていたのでそこに社殿を造営したという。

おとずれたのは夜明け間近だったが、伊和神社裏の池に囲まれた小さな神社にお参りする老婆の姿が強く印象に残っている。

●山崎城跡
一見、神社のようでもあり、近づくと低い石垣が組みあげられ、小城郭めかしく塀がめぐらされている。
門もある。高麗門という形式のもので、大手門と書かれている。


●龍野
・・・その上に鶏籠山けいろうざんの緑がかぶさるように茂っており、全山に各種の照葉樹が茂って、凸形の密林のようであった。この
あたりは、旧藩時代、高禄とりの屋敷町だったかとおもえる。い
まは町名を霞城かじょうという。



城跡の石段の下で小学生たちがスケッチをしていた。あたりはと
ても静かで、その静寂を破るかのように子どもの泣き声が聞こえ
た。小学校低学年と思われる男の子が、おばあちゃんにだだをこ
ねていた。すいぶん昔に亡くなった祖母のことを思い出した。
如来寺の前の道というのは、左右に建物がせまり、黒っぽく舗装はされているものの、道幅は小径というにふさわしい。小径は城址にむかっている。これが、この小藩の小城の大手門への目抜き通りであったのであろう。



このあたりは大手町二丁目。如来寺の前には、ヒガシマルのうすくち龍野醤油資料館があり、白壁の建物が多い。小道が多くて車が入れないせいか、とても静かで、車の通行を気にせずにゆっくりと散策が楽しめる。
     

室津 関連サイト室津の町並み
道路上からは、室津の入江の景観が見おろせる。宿は、その道路
上に、崖に背をもたせかけるようにして建っている。




入江の奥から見る。正面のベージュの建物が司馬さんが泊った
割烹旅館きむらや」である。
境内を歩いていると、ときどき沖の三つ韓(唐)荷島がみえた。『風土記』の伝説では、朝鮮からきた船がこの室津の沖で難破し、その荷が島々に漂着したためにそういう名前が付いたという。


賀茂明神の境内から