安芸・芸備は、ひろい。
私は三泊四日の予定をたて、小さな町を二カ所だけ選ぼうと思い、地図でさがしてみた。
まず、安芸の吉田の盆地を選び、次いでその北方25キロにある備後三次(みよし)の盆地に行くことを考えた。
安芸の吉田という山間の小さな町は毛利勢力の興った地であり、また三次盆地は古墳時代、どういう理由で栄えたのか、広島県下でいままで発見された古墳約三千基のうち、約二千基がこの霧深い小天地にあるというふしぎな土地である。
司馬さんが芸備の道を旅したのは、1972年6月4日ー7日である。大阪から新幹線で広島へ。広島駅でタクシーをひろって国道54号線を北上した。旅のはじめは青空であったが、旅の終わりは梅雨に入ったらしく雨に降られた。
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吉田町歴史民俗資料館前の司馬遼太郎記念碑。
「城趾の山から降りてくると、白橿の幹のむ
こうに盆地がみえる、一歩ごと蛙の声が近
づいてくる」 |