司馬遼太郎の風景 |
河内みち |
河南町高貴寺・弘川寺、河内長野市観心寺 2000.9.11 |
司馬さんが河内みちを旅したのは、1971年か1972年ではないかと思う。高貴寺、弘川寺、観心寺、河南町大ケ塚の記述があるが、文脈から判断すると、おとずれた時期が違うようで、一度にまわったのではないだろう。
南海上の台風14号が迷走し、日本海に秋雨前線が停滞したため、近畿から東海にかけて大雨が降り、名古屋付近では堤防が決壊し多くの家が浸水した。河内みちをたずねたのは、このような悪天候のはじまりの日だった。 |
■ 高貴寺
寺までたどりついたが、相変わらず森閑としている。そのみごとに掃き清められたふんいきは無用の来訪者
に対して無言の意志を示しているようでもある。
小さな本堂があり、講堂がその横にある。敷地は三百坪ほどで、じつに狭い。一方が谷にのぞみ、背後は小
さな峰で老杉が密生し、その杉のむれが境内を蒼寂び(あおさび)させるために必要な湿気をあたえ、同時に
必要以上の明るさをあたえまいとしているらしく思われる。

壊れた道標が雨にぬれていた。 高貴寺の門。聞こえるのは雨の音だけ。
■ 弘川寺
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われわれは葛城山ふもとの弘川寺への道をのぼっった。この道は登りつめると大和ざかいに入る小道のひとつで、峠は水越峠とよばれている。弘川村はむろん峠まではゆかない。村の家なみを見おろす台上に弘川寺がある。
境内に入ると、杉の梢という梢からやかましいほどに蝉しぐれが降りつづいていて、ひぐらしの声もまじっていた。
境内には人影がなかったが、歌聖西行の終焉の地ということで歌人たちの歌碑が多く、見る人によってはなまなかな観光寺よりはさわがしく感じられるかもしれない。
←西行堂も雨の中。屋根にのっているのは1円玉。 |
■ 観心寺
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南河内の金剛山麓に、観心寺がある。
観心寺にはさほど関心はなかったが、そのあたりの渓流に沿った林間に、建って百年ほどの村の宿屋があるときいていたので、鄭さんをさそった。一泊の散歩だった。
宿は、むかし観心寺の湯屋があった場所に建てられたという。建てられて百年になるというから、瓦も材も古び、階段やら窓の手すりやらがが蒼古としている。むろんクーラーもなかった。ただしクーラーの必要がないほど山中は涼しかった。
←本堂に掲示されている如意輪観音の写真。 |
司馬さんが泊まった宿を見つけることはできなかった。司馬さんが関心を示さなかった観心寺の境内をひと
まわりした。相変わらず雨が降っていた。
観心寺は、国宝の如意輪観音像で知られているが、この観音像は4月17日・18日の2日間しか公開され
ない。境内には、国宝の金堂以外には見るべきものはなく、司馬さんが関心を示さなかったのが分かるよう
な気がする。
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