司馬遼太郎の風景
仙台・石巻
竹駒神社、東北大学、大崎八幡宮、多賀城、
松島、石巻ハリストス正教会
01.5.28
CAMEDIA E-100RS
おなじ奥州でも、太宰治のような奥の奥というべき津軽のひとからみると、仙台はあかるくひらけた
ところだったらしい。芭蕉も平泉まできただけで津軽にはきてくれなかった、と『津軽』にもうらみが
ましいくだりがある。
司馬さんは、1985年2月25日、大阪から仙台へ飛行機で入っている。
そして、仙台空港のある岩沼市から紀行をはじめ、2月28日、石巻で紀行を終えている。
学生時代の4年間を仙台で過ごしたわたしにとっては、『仙台・石巻』にはなじみの場所が登場する。
今回、約30年ぶりに、紀行に登場する場所をたずねた。昔とほとんど変わっていなかった。
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竹駒神社
境内に入って目を引いたのは門。
隋身門から門越しに唐門を見る。
私が竹駒神社を拝したかったのは、その社殿が桃山風の建築であるときいていたからである。
入ってみると、二層の隋身門がすばらしくいい。さらには唐門がよく、それよりも社殿がいっそうよかった。
司馬さんは、桃山様式の建築がお好きなようで、紀行の中に桃山建築がよく登場する。
竹駒神社は、お稲荷さんで、日本三稲荷の一つであるという。もう一つは、伏見稲荷であるが、残る一つはどこだろうか。
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東北大学
片平キャンパスの中央広場。
左方向が西で正門、正面が北門。
東北大学は、戦後、手狭になった。このため青葉山の西方の台地にあたらしいキャンパスを造成して、教養部や工学部や理学部を置いている。
この片平丁のキャンパスには本部を置き、さらにはこの大学を伝統的に特徴づけてきた金属材料研究所を活性ある神殿のように残している。また科学計測研究所や電子計算機センターなどもここに残しているのは、多くの研究を生んできた片平丁の土壌と切りはなしたくなかったかのようである。
わたしは、この大学で4年間をすごした。教養部は青葉山のふもとの川内(かわうち)にあって、2年生の後半から特別講義のときに片平へ来ていた。3年生からは片平であった。
今回はじめて、正門から入った。ほんとに久しぶりだったが、昔とあまり変わっていなかった。生協の建物も健在だった。おとずれた日は月曜日だったが、構内には人影がまばらだった。片平キャンパスは、わたしが在籍していたときより、さらに機能が限定され、研究所的なものに変化しているように見受けられた。
■ 大崎八幡宮
八幡宮だから、社殿も八幡造りだとおもっていた。八幡造りは、そのルーツである宇佐八幡宮の建物でもわかるように、屋根に反りがあり、本殿と拝殿が相接している。ぜんたいとしては、白拍子の舞いの姿のようにすがすがしいものである。
が、大崎八幡宮は、頭からそういう形式を無視していて、ずっしりとした桃山風に統一されていた。
おとずれたとき、大崎八幡宮の社殿は改修工事中であった。昔、1月14日夜の「どんと祭」へ行ったことがある。松飾や古いお札を焼き、無病息災と商売繁盛を願うものであった。
■ 多賀城
芭蕉が見た風景/壺の碑
多賀城とは、その名をとなえるだけで、思いが茫々となる。
城でありつつも、より濃厚な官衙(かんが)だった。都の文化の象徴としての寺院が、いまは遺跡ながら、その当時、壮麗な堂塔とともに付属していた。
それらの遺跡のすべては台上にある。東方に海がひろがっている。
多賀城を有名にしたのは芭蕉である。芭蕉が「奥の細道」の中で壷の碑のことを書いていなかったとしたら、司馬さんもわたしも、ここをおとずれることはなかったかもしれない。
■ 松島
松島は日本三景のひとつだという。「しかし、どこがいいのかわかりませんよ」と、たれもがいう。太宰治の『惜別』にも。、主人公の魯迅が、この景色のよさをみつけるために悩むくだりがある。作者の太宰治自身、松島の美のわからなさに閉口していていたのにちがいない。
松島は、芭蕉が絶賛したように、美しいところではあるが、どこが美しいの?と思う人が多いかもしれない。司馬さんも、そのうちのひとりだった。
安芸の宮島、天橋立へも行ったことがあるが、松島と並んで日本三景のひとつ、といわれれば、納得してしまうほどの美しさをそれぞれが持っている。
■ 石巻ハリストス正教会
教会の造形美/ハリストス正教会
西洋の教会とも、日本の城の櫓ともつかぬふしぎな折衷建築物だった。正面は八角形のうちの五つの面でかこまれた二階建造物で、玄関を構造する柱が四本ある。どの柱も、日本の寺院の柱のように、礎石というはきものをはいている。外壁は、白亜である。
本屋は、二階だての清楚な四角形で、正面も本屋もいっさい装飾がない。その点では、ある様式の神社のようでもある。
石巻ハリストス正教会は市街地にあるが、もとの教会の建物は、川の中州に造られた公園に保存されている。西洋建築を見たことのない地元の大工が建てたもので、明治13年の建造、日本の現存する最も古いハリストス正教会の建物である。
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