司馬遼太郎の風景

白河・会津のみち

白河の関、白河ハリストス正教会、
大内宿、会津若松
2001.5.26-27
CAMEDIA E-100RS

平安朝の貴族・文人が、奥州ーみちのおく・陸奥・おくー対していかにあこがれたかを理解せねば、
かれらの詩的気分が十分にわかったとはいえない。

たとえば、「宮城野」ときくだけで、秋草の野をおもい、萩咲きこぼれるあわれさを思い、さらには
はるかに野を吹きわたる陸奥の風をおもうのである。

司馬さんの白河から会津への旅は、梅雨がまだ明けていない1988年7月9日から14日であった。
「ひかり」と「あおば」を乗り継いで、新白河駅で降り紀行を始めている。白河から会津までの移動
手段は、例によってタクシーである。


戊辰戦争で大破した鶴ヶ城は、明治7年(1874)に解体されたが、昭和40年(1965)に鉄筋
コンクリートで復元され
た。2009/4/16 K10D

  白河の関

   「境の明神」と呼ばれる幽邃(ゆうすい)な場所がある。ここが関趾(せきし)であるかどうかはべつとして、
   江戸時代、参勤交代の大名行列が通る道だったのである。まわりは杉木立で、蒼古(そうこ)としている。

   「しずかですな」須田画伯が、ため息をついた。大景観というわけではないが、小ぶりな空間のなかに歴
   史が苔の下にもぐりこんで息づいていて、たとえ北か南へ数メートル行っても、その気分がこわれてしま
   う。こんないい所へくるというのも、生涯で何度あるかわからない。

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境の明神。むこうが那須、こちらが白河。
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境の明神前に立つ国境石。白河の関、松平定信の古蹟碑

    白河の関跡は2ヶ所ある。最初に関が設けられたのが、現在白河の関跡とされている旗宿であり、その後、
    境の明神がある地点に移動したようだ。司馬さんは、境の明神をたずねてから旗宿の白河の関跡にむかっ
    ている。芭蕉もそうであった。→
芭蕉が見た風景/白河の関

  白河ハリストス正教会

sirakawa-aidu-harisutosu.jpg (51585 バイト) 明治期にさかんだったロシア正教(あるいはギリシャ正教)の教会は東北にすくなからずあるが、白河のまちにあると意外だった。

聖堂とはいえ小さい。木造白ペンキ塗りで、屋根も亜鉛びきの鉄板という粗末なものながら、様式だけはけなげにもビザンチン風を守り、さまざまに小構造を張り出させ、上にネギ坊主の塔まであげている。明治中期ごろの建築らしい。

この聖堂には、山下りんの聖像画(イコン)がある。司馬さんも、このイコンを見ている。わたしがおとずれたのは、日曜日の朝で、神父さんがミサの準備をしていた。

許可を得て聖堂に入り、神父さんと話をしながら山下りんのイコンを拝見する。


教会の造形美/ハリストス正教会

 ■ 大内宿

sirakawa-aidu-ooutijyuku.jpg (128855 バイト) 大内宿は、江戸時代の宿場の景観をよくのこしているいわれる。いまでは知名度がたかいが、二十余年前は、福島県以外の人で知る人はまずなかったらしい。

大内の小盆地に入ったとき、景色のすがすがしさにおどろいた。

そのなかにひと筋の古街道がとおっていて、その古街道の両側に、大型の草ぶき屋敷が、幾棟も幾棟も、棟をむきあわせてならんでいるのである。

宿場の中央の道路の両側には石積みの溝が築かれていて、山の水が走り流れている。ところどころに洗濯のための石積み構造がある。

  会津若

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復元された藩校・日新館。
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日新館の弓道場にて。

会津若松市はいうまでもなく江戸期の会津藩の城下町である。その末期には戊辰戦争があり、白虎
隊の悲劇がある。鶴ヶ城での篭城と降伏、さらに藩ぐるみの配流(はいる)ともいうべき斗南(とな
み、青森県下北半島)への移住といった悲惨な歴史がつづく。

明治維新というのはあきらかに革命である。革命である以上、謀略や陰謀をともなう。会津藩は、
最後の段階で、薩長によって革命の標的(当時でいう”朝敵”)にされた。会津攻めは、革命の総仕
上げであり、これがなければ革命が形式として成就しなかったのである。

歴史のなかで、都市一つがこんな目に遭ったのは、海津若松市しかない。

日本中がそうであるように、このまちでも、劇的なものが観光化されて、さわがしく再演出されて
いる。白虎隊の墓のある飯盛山のふもとの石段のまわりには伊勢の二見ヶ浦のようにみたげものや
がひしめき、石段に有料のエスカレーターまでついていた。