
竹内集落の西の入口付近を国道166号線側から見る。
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竹内集落の中ほどにある綿弓塚 |
「大和の国に行脚して、葛下の郡竹の内といふ所はかの千里が古里なれば、日ごろとどまりて足を休む」(『野ざらし紀行』)とあるように、、芭蕉は門人千里をつれて竹内に立ち寄った。綿弓塚は、そのときに詠んだ句を記念して文化6年(1809)に建てられた句碑。
「綿弓や 琵琶に慰む 竹の奥」 松尾芭蕉
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大和国北葛城郡竹内というのが、竹内峠の大和側の山麓にある。私は幼年期や少年期には、竹内村の川村家という家で印象的にはずっと暮らしてきたような気がする。そこが母親の実家だったからだが、母親が脚気であったためその隣の村の今市という村の中川という家で乳を飲ませてもらっていたから、竹内峠の山麓はいわば故郷のようなものである。
正面から見ると、葛城の山が大和盆地にむかってなだらかに山裾を引き、竹内街道が赤土の坂になって、山へ登る。坂の登り口に長尾の所在があり、その中腹あたりに白壁の村があり、それが竹内である。
私が、昭和18年の秋にこの竹内への坂を登ったとき、多少いまから思えば照れくさいが、まあどうせ死ぬだろうと思って――兵隊ゆきの日がせまっていたので――出かけたのだが、坂を登ってゆくとその坂の上の村はずれから、自転車で転がり降りてきた赤いセーターの年上の女性(といっても二十二、三の年頃だとおもうが)がいて、すれちがいざまキラッと私に(?)微笑し、ふりかえるともう坂の下の長尾の家並みの中に消えていて、ばかばかしいことだがいまでもその笑顔を覚えている。
どこの娘だか知らないし、むろん先方も私を知らなかったに違いないが、要するに彼女にとって自分があまりに猛スピードでころがりおちてきているため、私とすれちがいざま、自分のお転婆ぶりがはずかしく、つい笑顔が弾けてしまっただけで、他意はなかったにちがいない。しかし当方としてはそれだけでしばらくボンヤリしてしまい、にわかに恋が襲ってきたような気がして――あほらしいが、それほどあの時代の青春はまずしかったように思われる。

カミノ池。むこうを走るのは国道166号線。 |