| 司馬遼太郎の風景 種子島みち 住吉、種子島城址、門倉崎、熊野浦 |
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わたしは、2本のハサミを愛用し
ている。ドイツのゾーリンゲンと種
子島のものである。どちらも、買っ
たときと切れ味が変わらない。
種子島では、島のあちこちで砂鉄
が採れ、古来より製鉄が行われてい
たという。
16世紀に伝来した鉄砲づくりの
技術と古来からの製鉄の伝統が、よ
いハサミを生んだのであろう。
司馬遼太郎さんが種子島をおとず
れたのは、1975年9月28日か
ら3日間であった。
喜志鹿(きしが)崎から門倉崎まで
国道58号線沿いに立ち寄り、南東
海岸の熊野浦で旅を終えている。
浜昼顔の咲く真夏の竹崎海岸。左が種子島燈台、正面が宇宙センター。
95/7/22 CanonT90/28mm

住吉のガジュマル。
95/7/21 NikonF4s/24-50mm
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浜津脇から海岸に
沿った国道をたどっ
てゆくと、やがて住
吉という漁港に出る。
漁民の守護神の住
吉の神の名をそのま
ま地名にしているの
だが、見たところ神
社はなさそうだ。
「いや、あれが神
社です」と、井元さ
んが、右側の山寄り
の森を指さした。
照葉樹でおおわれ
たきれいな丘で、社
殿はなく森そのもの
が神域になっている
あたり、いかにも古
代の信仰形態そのも
のであり、沖縄の御
岳(うたき)とも共通
していた。
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種子島城跡のアコウ。
95/7/23 NikonF4s/24-50mm
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墓域を出てから、
種子島家の城跡に行
ってみた。
市役所に近い所だ
が、この一角だけは
樹木が多く、市街地
に近いようには思え
ない。
台上の城跡は、榕
城中学校という学校
の校庭になっている。
中学校の門までは
幾段かの石段をのぼ
るが、登ってから道
路を見おろすと、い
かにも城郭の気分が
出てきて、舗装され
た道路までが古格を
帯びてくる。
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牛野を離れてしばらくゆくと、海ぎわ
が崖になった。道路は海から遠ざかって
ゆき、丘の間を縫った。
さらにゆくと島が狭くなり、やがて道
路が崖で尽きた。
門倉崎である。
風がつよく、崖ぶちへゆくには勇気が
要った。木の枝をにぎって崖の下を見る
と、島の根をゆるがすようにしてはるか
な下で海が騒いでいる。
天文年間にポルトガル船が漂着したと
いうのは、この崖の下の海であった。ふ
つう、八月二十五日とされる。台風の季
節といっていい。
鉄砲伝来の地・門倉崎。95/7/21
NikonF4s/24-50mm
渚にいくつもの奇岩があって、その一
つが波に浸食されて洞穴を作っており、
沖合から波がゆるやかによせてきてやが
て岩を打つたびに洞内に轟音が走って、
渚にまで突き抜けてくる。
「この岩は、千座ノ岩屋というんです」
と、運転手さんが教えてくれた。
岩屋の上にホコラが祀ってあることか
ら察して、土地の信仰の対象になってい
るらしい。
浜ぜんたいを千座というのかときくと、
いや浜ぜんたいは別の名前です。熊野浦
です、と運転手さんがいった。熊野浦と
はここかとあらためて海浜のあちこちを
眺めた。
天然の造形・千座(ちくら)ノ岩屋。95/7/21
NikonF4s/24-50mm
[司馬遼太郎の風景]
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