
日本石仏協会会員・蔵地心さん制作
地図が一般的になったのは、人類の長い歴史からみると、ごく最近のことである。交通機関の発達にともない人々の行動範囲が広くなり、地図は欠かせないものとなった。地図を補完してくれるのが道路標識である。地図のない時代、道標が唯一のたよりであった。四国八十八ヶ所の遍路道でも札所へと導く石の道標が数多く建てられた。
当時の遍路道は狭く、人家も少なくて方角を尋ねることもままならなかったであろうから、分かれ道では、どちらへ進めばよいのか迷ったに違いない。そんな時、石の道標がどんなに遍路を勇気づけたことだろう。
近年、「四国のみち」という道標や自然歩道の案内標識が建てられていて、道に迷ったときにはこの道標が役に立つ場合がある。また、地図に載っていないような山道などでは、「へんろみち保存協力会」の、白地に朱色で文字と記号が描かれたみちしるべが役立つ。
四国の遍路道に建てられた道標には、さまざまな人々の、さまざまな思いが蓄積されている。江戸、明治、大正、昭和と、それぞれの時代の人々が苦難の道中で見たであろう道標を、今、わたしも見ている。この感慨は、野ざらしの石造物に出会ったときに共通するものである。
そして、今という時間を切り取り、その映像をフィルムに定着させるという作業の中で、人のいとなみの絶え間ない流れを感じとりたいと思っている。
『日本の石仏』1999年春号
「四国札所みちしるべ紀行」より抜粋
四国八十八ヶ所の札所や遍路道にある石仏を、文と写真で、月刊『へんろ』に、1998年2月号より連載。同じ内容で、このサイトに掲載しました。月刊『へんろ』は、松山市の伊予鉄観光開発が発行している四国遍路情報誌。
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