四国札所の石仏
遍路道の道標と石仏(10) 大日寺、神峰寺、真念庵、浄瑠璃寺、吉祥寺、八栗寺


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素朴で愛らしい大日寺観音さま

 阿波の難所寺・第十二番札所焼山寺のある山から第十三番札所
大日寺までは約二十六キロ、かなりのみちのりである。


 大日寺はもとは一の宮寺といい、道路をはさんだ向かいにある
一の宮神社の別当寺であった。神仏分離以前は、神社が札所で、
寺に納経所があったという。


 大日寺の本尊は、大日如来であったが、神仏分離令により神社
に安置されていた十一面観音を寺に移して本尊とし、大日如来は
脇待仏となった。

 境内はさして広くはないが、宿泊所や売店があり、すぐそばに
は旅館もあって活気に満ちている。境内の隅に自然石がたってい
て、そこに十一面観音が浮き彫りにされていた。彫りが素朴で愛
らしい観音さまだ。
                                             『へんろ』2001年4月号

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神峯寺への丁石

 
第二十七番札所神峯寺は標高六百三十メートルの高地にあり、
国道五十五号線から、建設中のくろしお鉄道の高架をくぐって四
キロほど山道を登る。勾配はきつく、特に最後の一キロほどは、
お遍路泣かせの急傾斜で道も狭い。


 山門の右手に鳥居が立っていて、神峰神社へと続いている。神
仏分離までは神社が札所だったとのことである。

 遍路道のところどころに、地蔵が刻まれた丁石が立っていた。
目に付いたのは、八丁と刻まれた丁石で、南国の明るい日差しを
受けてまぶしいほどであったが、地蔵の頭部が剥落していた。八
丁というから、ここから寺までは約八百メートル、このあたりが
歩き遍路にとっては一番きつい。

              『へんろ』2001年5月号


sikoku-sinnenan.jpg (66941 バイト)真念庵の石仏

 真念庵は、第三十八番札所金剛福寺と第三十九番札所延光寺と
の分岐点付近、現在の土佐清水市市野瀬にある。


 真念は「四国遍路道指南」といういわば四国遍路のガイドブッ
クを著わし、遍路道の各所に道標を建てたことで知られているが、
道路の改修などにより、真念の道標も残っているものは少ない。

 江戸時代は、海岸沿いに金剛福寺から延光寺への道をたどって
いたが、海岸沿いの道は険しかったことから、真念は山越えの道
を開拓した。荷物を真念庵に置いて足摺を往復し、次の札所へむ
かうというものであった。


 真念庵はおとずれる人も少なくひっそりとしていて、木々に囲
まれた境内にはたくさんの石仏が安置されていた。

                                             『へんろ』2001年6月号

sikoku-jyoruriji.jpg (93065 バイト)浄瑠璃寺の不思議な石像

 県道に面した石段の右手に「医王山浄瑠璃寺」と刻まれた石標
があり、左手に正岡子規の句碑が立っている。句碑には、「永き
日や衛門三郎浄瑠璃寺」と刻まれていた。

 山門はなく石段をあがると境内で、正面に本堂が見える。右手
には樹齢千年のイブキビャクシンの古木があり、境内は木々にお
おわれている。本堂前に釈迦の手や足をかたどった仏手石・仏足
石があり、仏足石のそばに不思議な石像があった。

 苔が生えた自然石の下部には漢文らしき文字が刻まれ、上部の
四角のくぼみの中に奇妙な図形が刻まれていた。何を刻んだもの
であろうか、何かを象徴的に表現したものであろうが、その不思
議な石像にしばし見とれてしまった。

              『へんろ』2001年7月号


kissyouji.jpg (93735 バイト)吉祥天が待つ寺

 第六十番札所横峯寺への山登りの後には、国道十一号線に沿っ
て平坦な道がつづく。


 第六十三番札所吉祥寺の本尊は毘沙門天であるが、本尊の脇侍
として吉祥天を配していることから寺の名が由来している。


 国道側から入ると、右手に吉祥天像が立っている。くぐり吉祥
天と呼ばれ、像の下の門をくぐればご利益があるという。クスの
古木を背景にした立ち姿は美しく、顔はふっくらとしている。

              『へんろ』2001年8月号


yakuri-hyakudo.jpg (86192 バイト)八栗寺のお百度石

 第八十五番札所八栗寺にはケーブルカーがあるが、左手に遍路
道があって二十分くらいで山門に至る。門をくぐると、正面が本
堂、本堂のうしろには五剣山がそびえている。四国札所の中でも、
美しい景観を持つ寺のひとつである。

 本堂近くに「百拝計石」と刻まれたお百度石が立っていた。百
回参拝したことを計る石ということであろう。明治十六年の銘が
あり、カウント板もちゃんと付いていた。

              『へんろ』2001年9月号