SLグラフィティ

 撮影機材 CanonFtb/50mm,135mm
       MamiyaC330/105mm

伊田線・糸田線

1973年の時刻表を見る。

伊田や後藤寺付近には路線が網の目のように走っているが、添田線、漆生線、上山田線は廃止され今はない。

伊田線は、筑豊本線の直方から分岐して、中泉、赤池、金田、糒、四つの駅を通って、日田彦山線の伊田に合流している。

糸田線は、伊田線金田から分岐して、豊前大熊と糸田の二つの駅を通って、日田彦山線の後藤寺に合流している。

1989年、伊田線・糸田線・田川線は、第3セクター平成筑豊鉄道となり、現在に至っている。


伊田線・糸田線は、景色がよいという訳でもなく、急勾配区間がある訳でもないので、あまり撮影していない。

数少ない写真の中から、できるだけ筑豊らしさが感じられるものを選んで掲載した。

 
 
糸田線・金田〜豊前大熊、キュウロクが引く後藤寺線 ・船尾行き貨5597列車。1974/5/25
■伊田線



伊田線・直方〜中泉。遠賀川の鉄橋を北側から撮る。左手にかすかに見えるのは飯塚忠隈のボタ山ではないだろうか。
このころは黄色い花のセイタカアワダチソウが遠賀川の河原一面に生えていた。
かつては夏から秋にかけてどこでもセイタカアワダチソウが目立ったが、最近は勢いが衰えたのか以前ほど目立たなくなった。1973/7/28



伊田線・直方〜中泉。遠賀川の鉄橋を渡る。
手前に見えるのは筆者のバイク。この頃から移動手段は、鉄道と徒歩からバイクに代わり、小回りがきくようになっていた。1974/11/30

   
 
金田駅構内と金田駅付近で撮影。1974/10/27

 
金田の発車。このときはいい煙を出してくれた。1974/12/7


伊田線・糒〜伊田。糒駅の近くに
上尊鉱業糒炭鉱があった。糒炭鉱のボタ山の下から香春岳を遠望する。1974/11/30


伊田線・糒〜伊田、糒炭鉱のボタ山から貨1295列車の通過を見送る。色々な種類の貨車をけん引している。
真ん中を通っているのが烏尾峠を越えて飯塚へぬける国道201号線。左手には中元寺川が流れ、奥には伊田の家並みが見える。1973/10/28

■伊田駅
伊田駅は筑豊を感じさせてくれる雰囲気を持った駅だった。
記憶があいまいであるが、北側に駅舎、南側には三井田川鉱業所伊田坑の施設、その中間に旅客用と貨物用の線路があった。
三井田川鉱業所伊田坑の跡地は、田川市石炭・歴史博物館になっていて、竪坑櫓や煉瓦積みの2本の煙突などが保存されている。
現在の伊田駅と伊田駅付近の様子はこちら


旅客用のプラットホームから南を見ると、貨物専用の線路がたくさん並んで、機関車や貨車のむこうに石炭の施設が見えた。1973/7/28


月が出た出た月が出た 三池炭坑の上に出た あんまり煙突が高いので さぞやお月さん煙たかろと炭坑節にも歌われた煙突が見える。


こちらも、香春岳から見下ろせば 伊田の竪坑が真正面と炭坑節にも歌われた竪坑櫓が見える。
この2枚の写真を撮影したのは、筑豊本線で「SLさよなら運転」が行われる7日前だった。1974/12/15

■糸田線


糸田線・金田〜豊前大熊、伊田線と糸田線の分岐点付近。金田を発車した列車は、一番西側の線路を走行して伊田線と分かれ糸田線へ入る。
これは、豊前大熊駅裏にあったボタ山から撮影したものと思われる。 1974/10/20
  
 
糸田線・金田〜豊前大熊 。この頃は、道路との間にフェンスはなく、手前にあるような信号機のない踏切が当たり前だった。
そんな緩い時代だったが、何か問題が起こったという記憶はない。1974/11/30
    

糸田線 ・後藤寺〜糸田。後藤寺駅付近では糸田線はボタ山の下を走る。このころのボタ山には雑草が生えていた。1973/7/28


SLグラフィティ