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日本海に沈む夕日

2015/10/15

   

秋田での撮影を終えて、由利本荘市のホテルへ向かって国道7号線を南下しているときに夕暮れを迎えた。東北へは何度も来ているが、今度の旅が東北への旅の最後になるだろうという思いがあった。高齢になり、長距離の車の運転が負担になって来たからである。夕焼けの赤い空に、まん丸の白い太陽がまぶしかった。東北は学生時代からずっとなじんできた大好きなところ。ありがとう、東北!



 

ツシマヤマネコ ?!?

2015/5/13

   関連サイト 対馬野生生物保護センター

対馬市の国道を南下しているとき、峰町大久保の交差点付近の道路脇で、何かを食べている猫を見た。
ツシマヤマネコに似ているのでカメラを向けると土手を登り始めた。ツシマヤマネコはひたいの縞模様が特徴であるが、残念ながら正面から撮影することができなかった。よくよく見ると、ツシマヤマネコではなさそうだが、対馬の旅の記念として掲載することにした。




 

道の駅 月見の里南濃

12.10.13

 

日本全国を旅していて、車中泊に道の駅の駐車場を利用させてもらっている。大変ありがたい施設である。人が大変たくさん立ち寄る施設があれば、ほとんど人が立ち寄らない施設がある。施設が閉鎖に追い込まれ、駐車場には雑草が生え、トイレのメンテナンスも不十分な施設もある。立地条件、施設のコンセプト、施設のレイアウトなど、いろいろな要素が影響していると思われる。

この秋、愛知県の万葉集ゆかりの地をたずね、予定の地を回り終えた頃には日が暮れていた。岐阜県の羽島PAで車中泊するつもりで立ち寄ったが、高速道路そばに狭い駐車場があるだけのPAだった。次に向かったのが海津市平田町にあるクレール平田。県道沿いの細長いスペースで落ち着かなかった。次に向かったのが海津市南濃町の月見の里南濃だった。国道沿いの長方形のスペースの国道側に広い駐車場があり、西側の一段高いところに諸施設が並んでいる。トイレは駐車場の両端と施設の中にある。大変居心地のいい道の駅だった。またいつかたずねてみたい。


 

天主堂

09.11.6

 

1990年代の初め、天主堂(カトリックの教会堂)の撮影に頻繁に佐賀や長崎をたずねていた。2007年秋には、16年ぶりに五島列島の天主堂をたずねた。天主堂のある近くを通ると、その存在がとても気になる。松浦鉄道の西木場駅の東1kmほどのところに西木場天主堂がある。松浦鉄道の沿線を車で走っていて、西木場天主堂のことを思い出して立ち寄ってみた。久しぶりに見る木造の天主堂はとてもきれいだった。


 

富士山

07.3.29

 

2007年春の旅で、裾野が広がった雲のない富士山をはじめて見た。場所は朝霧高原だった。

 

ETC

06.12.5

 

旅先では車を常宿としている。ホテルに宿泊することはほとんどない。大抵は道の駅に駐車するが、大都市周辺には道の駅がないので、高速道路のSAやPAに駐車することがある。

岡山ICから入り、吉備SAで宿泊し、翌日、総社ICから出ようとしてETCレーンに入った途端、「通信できません」という電光表示が出てゲートが開かなかった。

短区間を長時間かけて走ると、このようになるらしい。係員も詳しく知らなかったが、話の内容から推察すると、1区間を12時間以上かけて走ると、ゲートが開かない仕組みになっているようだ。
 
  桃太郎の石像。

コインランドリー

06.5.28

 

北海道の旅で、はじめてコインランドリーを使った。約4kgの衣類の洗濯に300円、30分の乾燥に300円、合計600円。洗い始めて洗濯物をたたみ終わるまでに約1時間半かかった。

カーナビで見つけて最初に入った小樽の店の設備は少々旧型だった。店に来ていたお父さんが、乾燥には30分くらい必要であることを教えてくれた。

2度目は釧路で、ここは設備が新しかった。バイクで横浜から来たという青年が雨にぬれた衣類を洗濯していて、「北海道は天気が悪くて寒いね」などと言いながら世間話をした。
 

クレジット

06.5.22

 

最近は旅先で現金を使うことが少なくなった。高速道路はETC、ガソリンはクレジットカード、そしてコンビ二でもクレジットカードで支払っている。先日、フェリーに乗ったが、インタネットで予約し、インタネット上でクレジット決済ができた。

現金を使わない代わりに、当然のことながら後でどかっと銀行口座から引き落とされ、しばらくは節約生活を余儀なくされる。

またコンビ二の話で恐縮であるが、コンビ二の会員になるときに迷わず、ローソンに決めた。あちこち旅をしていて、全国的にほぼ満遍なく店があるのがローソンである。花輪線の撮影で立ち寄った安比高原の交差点にも、残雪の前森山を背にローソンがあった。

北海道では旭川から北へ行くとローソンが全くなかった。地場のセイコーマートのみだった。原野のようなところを走っていて、セイコーマートのオレンジ色の看板が見えると、砂漠でオアシスを見つけたような感覚でつい立ち寄って飲み物などを買った。

余談になるが、映画『鉄道員』がロケされた根室本線幾寅駅のすぐ近くにあるセイコーマートに入った。北海道ではゴミ箱を置いていないコンビニが多い。この店にもゴミ箱がなかった。中年の女性3人が接客していたが、仕方がないのでゴミを店員に手渡した。いやな顔をされた。

前の店で買ったもののゴミを次の店で捨てることができなければ、車の中はゴミだらけになってしまう。したがって、 ゴミ箱を置いていないコンビニには入らないことにしている。
 

コンビニ

05.11.1


旅をしていると頻繁にコンビニエンス・ストアを利用する。コンビニがない頃はスーパーマーケットや街の商店で食料を買っていたが、コンビニのようにあちこちにないので非常に不便だった。

この秋に東北を旅した。青森県に入って気付いたのであるが、コンビニのほとんどがローソンだった。セブンイレブンやファミリーマートには出会わなかった。

青森から岩手、宮城と南下するにしたがって他のコンビニを見かけるようになった。ともあれ、よく旅をする筆者にとってはコンビニはなくてはならないもののひとつである。
    
 
 宮城県石巻市、道の駅「上品の郷」近くのローソン。

道の駅

05.10.29


撮影旅行ではセレナを常宿としている。後部座席を倒してクッションを敷き、シュラフに入って眠る。7月から9月初めまでは暑いのでホテルに泊まる。冬はたくさん着込んでカイロを貼れば暖かい。

車をとめるのはほとんど道の駅である。大都市をのぞけば全国各地に道の駅があり重宝している。今まで、たくさんの道の駅にお世話になった。極々小さな駅から大きな駅まで様々な駅がある。最近は、温泉施設のある道の駅が増えたのはありがたい。

今まで立ち寄った道の駅の中で一番素晴らしいと思ったのは、山形県三川町の「庄内みかわ」。とても広くて、温泉や宿泊施設もある。一番快適だったのは秋田県鹿角市の「かづの」、四方を建物に囲まれた中庭に駐車場があり、国道を走る車の音がさえぎられて、とても静かでぐっすり眠れた。
 
 道の駅「かづの」の中庭から見たバナナのような月。

 

2004年桜旅

04.4.24


2004年の桜旅は、山形の桜をメインに考えていた。西日本のソメイヨシノが終ったころ、長野を経由して山形をめざした。長野では幸運にもお目当ての桜はほぼ満開だった。高山村の黒部のえどひがん桜で出会ったカメラマンの話では、山形でも満開をむかえたとのことで、山形へ着く頃には散っているのではないかと心配だった。

山形へ着いたのは5日後で、雪や強風で花持ちが悪く、かなり散っていた。その前に立ち寄った福島では何とか間に合った桜と散ってしまった桜が五分五分だった。今年は開花が早く、桜撮影には難しい年だった。

「奥の細道」の名取市笠島を訪ねた折、道祖神社近くの国道を走っているときに、姿のよい山桜を見つけた。少し小高い墳丘のような所に立っていて、根元には祠が安置されていた。名も知らぬ桜であるが、なぜか心引かれた。

    
 

南方熊楠

2003.9.22


2003年秋の旅で、以前からたずねたいと思っていたふたつの記念館をたずねることができた。ひとつは東大阪の司馬遼太郎記念館、もうひとつは白浜の南方熊楠記念館である。

「熊楠は記憶力抜群、19ヶ国語に通じ、アメリカ、イギリスなど海外で大活躍。また孫文との親交も有名。生物、民俗、鉱物、文学、宗教学などほとんど独学で研究した博物学の巨星。柳田国男と並ぶ民俗学の創始者」と紹介されているが、粘菌という微生物の研究に情熱を傾けたことで知られている。幕末に生まれ、昭和16年に75歳の生涯を閉じ た。

記念館の屋上に上がると、南方熊楠がその保護を訴え実現した神島(かじま)がよく見える。
 

 

木ノ芽峠

2003.5.19


木ノ芽峠は福井県と滋賀県の県境付近にある標高628mの峠。ここを通る旧北陸道は、平安初期に設けられた官道で、敦賀から今庄へ抜ける最短路であった。道元禅師、織田信長、そして松尾芭蕉もここを通った。

敦賀から今庄へ抜けるには、北陸自動車道が最短ルートであるが、一般道を通る場合は、国道476号線から林道を通って、峠を越えるのが最短ルートである。やがて、木ノ芽峠の下にトンネルが開通し、早く快適に峠を越えられるようになる。

木ノ芽峠には、かつて峠の茶屋があった。慶長6年(1601)に設けられて以来、前川家が茶屋番を務め、通行人の監視に当たってきた。今でも、ここには、前川家の茅葺きの民家がある。民家から、敦賀へ下る道は、昔ながらの狭い道だった。
 

 

天城越え

2002.9.25

amagi-t.jpg (119808 バイト)以前、7、8年くらい前に天城峠を越えたことがある。そのときは西洋館と灯台の撮影が目的であったが、先を急いでいたので、旧天城トンネルには立ち寄らなかった。今回は、棚田や滝などが目的で、再び伊豆へやって来たが、時間的に余裕があったので旧天城トンネルをたずねた。

トンネルへの道は、舗装されていない、昔ながらの地道で、川端康成が「伊豆の踊り子」を書いた頃もこんなではなかったと思わせるほど、ほとんど人の手が加えられた形跡がなかった。しかも、当日は平日だったということもあって、天城峠を越えるまで、人にも車にも全く出会わなかった。

旧天城トンネルが開通したのが明治38年(1905)、やがて100年になろうとしている。全長446mの石組みのトンネルは、登録文化財として保護されている。

桜旅で出会った人びと

2002.4

nagazo.jpg (118612 バイト)4月1日、山口県阿東町「市場神社の枝垂桜」のそばの茅葺き民家に住む堀ヒサコさん。庭から写真を撮らせてほしいと申し出ると、やさしい笑顔で快諾してくださった。帰りには、お手製の餅をいただいた。

4月4日、広島県戸河内町「与一野の枝垂桜」を見下ろす丘の上にたつ百々博さん宅の奥様。大勢のカメラマンが押しかけ、ライトアップした桜を夜まで撮影していたが、温かいコーヒーとお菓子をお接待してくださった。後日、当日の写真を送ると、お礼の電話があった。

4月11日、広島県東部の桜撮影の際に立ち寄った「山中福田の椿」で出会った樫原一枝さん。椿について色々と話をしてくださり、自家製の椎茸と朝採ってきたセリを頂戴した。後日、電話をいただいた際に、椿は散ってしまいました、と少し寂しげだった。

みなさん、いつまでもお元気で! またいつかお会いしましょう。

子守唄の里へ

2001.11.8

kawabegawa.jpg (87267 バイト)北から二本杉峠を越え 、泉村から五木村に入った。道は狭くカーブも多い。
五木村をたずねるのは二度目である。前回は10年以上前に、西から五木村に入った。やはり道は狭かった。当時もダムの工事が行われていた。

今回たずねてみると、高い位置に新国道が出来、移転先の造成も終えて、ぽつんぽつんと家が建っている。村の周辺の道路も整備されつつある。ダム建設に向かっていることは確認できるが、ダム建設への最終的なゴーサインはまだ出ていない。

旧国道に沿って流れている川辺川はひっそりとしている。旧国道を通るのは、旧国道沿いに家がある人か、川辺川に用事がある人くらいである。青い水をたたえた川辺川の流れ、子守唄の里・五木村は、ほんとうに川辺川の流れとともにダムに沈んでしまうのだろうか。



 

茶堂

2001.9.13

tyadou.jpg (82822 バイト)茶堂は、奥だけに板を張り、棚に大師像や地蔵などの石仏をまつっている。お堂、
大師堂などとも呼ばれているが、茶堂が一般的な呼び名である。大師信仰や地蔵信
仰などから生まれたものと考えられていて、旅人を接待したり、供養や念仏を唱え
たり、近所の人たちが世間話をする場でもあった。

安置されている石仏の銘などから判断して、江戸末期に起源があると考えられてい
るが愛媛県の南予地方と高知県の県境付近には、まだ茶堂がたくさん残っていると
いう。

司馬遼太郎さんは、『街道をゆく・梼原街道』の中で次のように書いている。
 茶堂での接待など、こんにちともなれば、滑稽なことかもしれない。
 それでも、梼原のいくつかのムラではまだのこっているという。ムラの名は、
 茶屋谷、坂本川といったところだそうである。人情敦厚(とんこう)というの
 は、そういうことであろう。

梼原町の茶屋谷へ向かう途中で見かけた茶堂


 

越中おわら風の盆

2001.6.2

owara-kazenobon.jpg (14122 バイト)210日の初秋の風が吹くころ、おわら風の盆の幕開けを迎える。毎年9月1日から3日にかけて行われるこのおわら風の盆は、今も昔も多くの人々を魅了してやまない。涼しげな揃いの浴衣に、編笠の間から少し顔を覗かせたその姿は、実に幻想的であり優美である。山々が赤くもえる夕暮れを過ぎると、家並みに沿って並ぶぼんぼりに淡い灯がともる。それぞれの町の伝統と個性を、いかんなく披露しながら唄い踊る。その町流しの後ろには、哀愁漂う音色に魅せられた人々が1人、また1人と自然につらなりだす。闇に橙色の灯が浮かび上がり、誰もがおわらに染まっていく。(八尾町HPより引用)

富山県八尾町に伝わる祭り「おわら風の盆」を一度見てみたいと思いながら、今日まで実現しないままでいる。

八尾町三乗(みのり)には棚田百選に選ばれた棚田がある。盆踊りは、発表会が7月からはじまり、8月20日から30日まで前夜祭、9月1日から3日までが本番である。おとずれたのは6月はじめ、風の盆の季節ではないが、町の匂いをかぎたくて、棚田撮影のついでに立ち寄ってみた。

南北に走る道の両側に民家が建ち並んでいた。風の盆をむかえた夜の、光と音と舞いが織り成す幽玄の世界を思い描いてみたが無理だった。


 

キリシタンの里

2001.5.29

kirisitanno-sato.jpg (74117 バイト)その日、宮城県登米町から岩手県大東町に向けて車を走らせていた。岩手県との県境の町・東和町にさしかかったとき、キリシタンという文字が目に入ってきた。こんな所に、キリシタンゆかりの地があるのかと思い、車をとめて案内板を見ると、海無沢というところにキリシタン殉教地があるとのこと。国道からも近いので、丘の上の殉教地へ行ってみることにした。ロザリオの坂と名付けられた赤土の坂道を行くと、三経塚と呼ばれる殉教地は林の中にあった。

この地にキリスト教をもたらしたは、1558年に今の岡山県から招かれた「たたら製鉄」の技術者ふたりだった。たたら製鉄の普及に伴い、この地のキリスト教徒も増えて行ったと考えられる。1612年の禁教令による弾圧をのがれるために、表面上は仏教徒をよそおった隠れキリシタンが海無沢にも住んでいたが、1727年に発覚し、約120人が40人くらいずつ3か所にお経と共に埋められたという。

西海から入ったキリスト教が、交通手段や情報伝達手段が少なかった時代に、10年ほどの短期間で東北の地まで伝播したことにあらためて驚いた。


 

野麦峠

2001.5.22

nomugi-touge.jpg (118780 バイト)この街道は、飛騨の高山から野麦峠を越えて、寄合渡、境峠を通り木曾の薮原 に出たものであったが、江戸時代中期に黒川渡から入山峠を経て、梓川沿いに松本に至る道が開かれ、これも野麦街道と呼ばれた。 
                                
 (野麦峠の「長野県史跡旧野麦街道」説明板より)

現在の野麦街道は県道奈川野麦高根線で、野麦峠はその中間地点・長野と岐阜の県境にある。1997年の4月末に野麦峠を越えようとしたが、冬期閉鎖中であった。

2001年5月22日、久々野町の棚田を撮影し国道41号線を北上して上宝村の棚田を撮影する予定であったが、上宝村の棚田は山椒畑になっているとのことだったし、天気も悪かったので、上宝村の棚田はパスして、野麦峠を越えて松本へ入ることにした。

野麦峠は、積雪のため道路が痛んでいるのか、17時まで時間規制の通行止めが行われていた。幸い、道路補修工事の地点に着いたのは17時を過ぎていたので、通行止めに引っかかることなく野麦峠に着けた。峠は雨模様で風も強く寒々としていた。しばし峠に立って、この峠を越えた飛騨の女工たちとその哀しい物語に思いを馳せた。


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