天主堂巡礼 青砂ヶ浦天主堂 長崎県新上五島町/国指定



天主堂建築家・鉄川与助

五島列島・中通(なかどおり)島の奈摩湾を望む丘の上に、青砂ケ浦(あおさがうら)天主堂が立っている。この地も西彼杵半島の外海(そとめ)から逃れてきた移住者が住み着いた所で、その子孫たちが教会を守っている。

夕方5時、「ふるさと」のメロディーが流れるころ、信徒が教会に集まってくる。一家の主人は漁に出ているらしく、婦人と子供ばかりである。堂内からは、子供たちの澄んだ祈りの声が聞こえている。

この天主堂は鉄川与助が明治43年に建造したものであるが、与助は、明治12年1月13日に中通島・青方村に大工の棟梁の長男として生まれた。
 
与助と天主堂との出会いは、明治32年、与助が20歳のときに、福江島の野崎棟梁ガ、ペル神父の設計・指導の下で、中通島・曽根に天主堂を建造した際に手伝ったことがきっかけであった。
  
天主堂に魅せられた与助は、野崎棟梁の下で天主堂建築の腕を磨き、明治40年、28歳のときに、青砂ケ浦の対岸の冷水(ひやみず)に与助自身の設計・施工による天主堂を建造する。冷水天主堂は木造であったが、野崎棟梁の下でその建造に加わった堂崎天主堂での経験を生かし、翌明治41年には早くも煉瓦天主堂を野崎島・野首に建造している。

そして、そのわずか2年後に、青砂ケ浦天主堂を完成させたのである。天才的な才能を発揮した与助は、その後の50年間、西九州各地に数々の天主堂を建造した。

西海に沈む夕陽にマリア像が茜色に染まるころ、青砂ケ浦天主堂は最も鮮やかで美しい。
   

 tetukawayosuke.jpg (72074 バイト) [鉄川与助が建造した現存する明治・大正期の天主堂]

冷水  (中通島・明治41・木造)
野首  (野崎島・明治41・煉瓦)
青砂ケ浦(中通島・明治43・煉瓦)
山田  (生月島・明治44・煉瓦)
楠原  (福江島・明治45・煉瓦)
今村    (大刀洗町・大正2・煉瓦)
大曽    (中通島・大正5・煉瓦)
江上    (奈留島・大正7・木造)
田平    (田平町・大正7・木造)
頭ケ島  (頭ケ島・大正8・石造)

   
07/10/15-16 EOS1D *istD

   

   

   
   
[天主堂巡礼]